2017 la downtown tour with japanese texts

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LA SAITAMA

Los Angeles Downtown Architectural Tour June 24, 2017


1.

Bradbury Building.

304 South Broadway.

1893

ロサンゼルスの最も歴史のある、1977 年米国国定歴史建造物。 LA 金鉱ミリオンネアーの Bradbury が出資し、Summer Hunt のオリジナルデザインをもとに George Wyman が設計したブラッドベリービルディングは 1983 年に完成した。Italian Renaissance Revival スタイルがもとになっている。天井吹き抜けの空間を生かし、カーストアイロン様式の鉄 の飾りの内装、エレベータなが特徴の5階建てのビル。 精巧に作られた鉄の飾りははフランスで造られ、シカゴのワールドフェアにて展示された後にビ ルに設置された。壁全体は釉薬(ゆうやく:うわぐすり)をかけたブリックで構成され、階段の 大理石はベルギーから輸入、そして床はメキシカンタイルが利用された。当初の建設見積もりは $175,000 であったが、完成時にはその当時には莫大な金額である$500,000 以上を費やした。残念 ながら、Lewis Bradbury は 1893 年のビルのオープニングの数ヶ月前に亡くなった。 現在は、2 階以上はオフィススペースになっているため一般は 1 階だけに入れる。Los Angeles Police Department's Internal Affairs の本部も入居している。 1982 年のハリソン・フォード主演の映画、ブレードランナーの最後の決闘の場所としても有名。 その他に、クラシックの白黒映画 D.O.A.(1950)、ジャック・ニコルソン演じる Wolf (1994)など。 *米国国定歴史建造物(National Register of Historic Places)とは: 1966 年の国家歴史保全法(National Historic Preservation Act of 1966)によって制定された、保存に値する地域、 史跡、建築、構造物、およびその他の物を登録する制度。所有者には、保全に関する支出に対する税の優遇措置 が与えられる。 ロサンゼルス市内の建物はたった4つ。Bradbury Building はその一つである。

Bradbury Building. 304 S. Broadway c. 1900

Skylight, stairs and elevators in the Bradbury Building


Italian Renaissance Revival architecture(ルネッサンス・リバイバル建築) ルネッサンス・リバイバル建築又は Now-Renaissance(ネオ・ルネッサンス建築)は、19 世紀前半からヨー ロッパで始まり、その後世界へ波及した。ずっと以前のルネッサンス建築に基づきながら当時の荘厳さや 各地の新しい建築方式を織り交ぜたもの。日本の京都市・中京郵便局もその一つ。

ウィーン国立歌劇場

京都市の中京郵便局

Renaissance Architecture(ルネサンス建築)は、一義的にイタリアのフィレンツェで 1420 年代に始まり、17 世紀初頭まで続いた建築様式を指す。古典古代を理想とするルネサンスの建築における表現といえる。 人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、ローマ建築の構成を古典主義建築として理論づけた。ルネ サンス建築にはじまる古典主義建築の系譜は、後のバロック建築・新古典主義建築を通じて継承され、西 欧建築の主流であったが、19 世紀の歴史主義において相対化し、やがて解体した。 ルネサンス建築は、本質的な意味では 15-16 世紀のイタリアの一部の都市にのみ成立したといえるが、 フランス、イギリス、ドイツなど、西欧諸国の建築活動にも影響を与えた。当初これらの国々では、主にル ネサンス建築の表層的な意匠が導入されたため、各国独自の嗜好が表れており、それぞれ特徴を持った 建築になっている。 たとえば、ルネッサンス最初の建築家として名を挙げられるフィリッポ・ブルネッレスキは、それまでの建築 が、石工たちの伝統と経験、想像力を頼りに行われていたのに対し、ローマの古代建築の研究にはじまり、 内部空間を数学的比例の組み合わせで構築したほか、実際の施工における諸問題について工学的な 助言や発明を行うなど、自由学芸的なアプローチを採ったことにある。サント・スピーリト聖堂においては、 内部空間は身廊の高さ・幅、側廊の高さ・幅などの比例関係が平面だけではなく、細部のデザインにも繰 り返されており、基準となるモデュールが建物の細部の意匠にまで割り当てられる、というルネサンス建築 特有の静的な秩序によって構成されている。 『ウィキペディア(Wikipedia)より』


2.

Angels Flight. SW Corner of 3rd Street & Hill Street

1901

世界で最も短い鉄道という「エンジェルス・フライト」。バンカー・ヒルの丘にあるカリフォル ニア・プラザから丘の下のヒル・ストリートまで、全長はわずか 298 フィート(約 91 メートル) を運行するケーブルカー。 現在よりも 2 ブロックほど北西のオリーブストリートと、ヒルストリートを結ぶケーブルカーと して 1901 年に創設され、1969 年に同地域が再開発されるまで運行していた。その後 1996 年に 現在の位置に移動して運営を再開。ところが 2001 年の事故で死亡者が出たため閉鎖となり、 2011 年 1 月 10 日、ようやく再開の運びとなった。 今回はコントロールシステムを刷新したほかブレーキ装置も変更し、運行再開に至った。乗車時 間は数分と非常に短いが、料金も片道たったの 25 セント。往復しても 50 セント! オレンジと黒のケーブルカーは 2 両あり、それぞれ「オリベット(Olivet)」「Sinai(サイナ イ)」という名前がついています。エンジェルスフライトは、ヒル側にある駅構内のエンジンで ケーブルを引っ張り上げる仕組みで、片方が上ると、もう片方は重力で下るようになっている。 つまり、上下線が必ず同時に動く仕組み。 ケーブルカーの中はとってもノスタルジックな感じだそうな。。。 ちなみに、ミステリー作家マイケル・コナリーの小説、「ハリー・ボッシュ」シリーズ6作めで ある「エンジェルズ・フライト」は、名のとおり、このエンジェルズ・フライトの頂上駅で2体 の惨殺死体が発見されるところから始まる。



3.

Oviatt Building.

617 S. Olive Street.

1928

国の重要文化財に認定されているダウンタウンの高層ビル、オビアットビルディング。 一見すると普通の古いビルだが、よく見ると随所にアール・デコの特徴が目に入ってくる。 それもそのはず。ガラス工芸家として日本で絶大な人気を誇るルネ・ラリックがエレベーターのドア パネルや正面玄関ドア、シャンデリアをデザイン・製作したそうな。 ユタ州生まれのジェームス・オビアットは、1909 年にデパートメントのウィンドー・ドレッサーと してロサンゼルスに来た。1912 年には、同僚で帽子のセールスマンであった、フランク・アレクサ ンダーと共に、「アレクサンダーとオビアット」という名の男性服飾店の共同経営に着手し、4th Street に店を構えた。この共同経営には、建築家のフランク・アレンという有名かつ裕福な「影」の 経営者がいた。 恒例の夏のヨーロッパ買付旅行で仕入れた洋服を並べたオビアットのロサンゼルスの店は繁盛した。 1920 年代に流行り始めたアール・デコのデザインに触れたオビアットは、1928年建設のジェー ムス・オビアットビルディングとペントハウスの内装に取り入れた。 ロサンゼルスの建築会社、Walker & Eisen により、1928 年の 5 月にビルは完成した。建築家 Ferdinand Chanut、グラスメーカ ーの Gaëtan Jeannin、そしてグラス工芸家、René Lalique によ り、豪華なエラベータードアパネル、エントランスドア、シ ャンデリアなどのインテリアが加えられた。 ナポレオンと呼 ばれる大理石や「three faced tower clock」はフランスから輸入 された。

今日では、ビルの一階のアール・デコ調の華美なスペースは、Cicada Restaurant が構えている。日曜 の夜には、レストランはフル・バンドやシンガー、ダンサーをそろえたナイトクラブに変身し 1920 年から 30 年代へ逆戻りする。 2015 年には、Cicada レストランの外観は、アメリカン・ホラー・ストーリーに出てくる架空のホテ ル、Cortez、の外観として使われた。


French Art Deco アール・デコ(仏: Art Déco)とは、一般にアール・ヌーヴォーの時代に続き、ヨーロッパおよびアメリカ合衆国(ニュ ーヨーク)を中心に 1910 年代半ばから 1930 年代にかけて流行、発展した装飾の一傾向。原義は装飾美術。 幾何学図形をモチーフにした記号的表現や、原色による対比表現などの特徴を持つが、その装飾の度合いや様 式は多様である。 アール・デコは 1925 年に開催されたパリ万国装飾美術博覧会で花開いた。博覧会の正式名称は「現代装飾美 術・産業美術国際博覧会」(Exposition Internationale des Arts Décoratifs et Industriels modernes)、略称をアール・ デコ博といい、この略称にちなんで一般に「アール・デコ」と呼ばれるようになった。また「1925 年様式」と呼ばれるこ ともある。 キュビズム、バウハウスのスタイル、当時発掘が相次いだ古代エジプト美術の装飾模様、アステカ文化の装飾、日 本や中国などの東洋美術など、古今東西からの様々な引用や混合が指摘されている。世紀末のアール・ヌーヴォ ーは植物などを思わせる曲線を多用した有機的なデザインであったが、自動車・飛行機や各種の工業製品、近代 的都市生活といったものが生まれた時代への移り変わりに伴い、 進歩した文明の象徴である機械を思わせる、装 飾を排除した機能的・実用的なフォルムが新時代の美意識として様式化した[1]。 アール・デコは、装飾ではなく規格化された形態を重視する機能的モダニズムの論理に合わないことから、流行が 去ると過去の悪趣味な装飾と捉えられた。従来の美術史、デザイン史では全く評価されることもなかったが、1966 年、パリで開催された「25 年代展」以降、モダンデザイン批判やポスト・モダニズムの流れの中で再評価が進められ てきた。 アール・デコ建築としては、1930 年頃はニューヨークの摩天楼(クライスラー・ビルディング・エンパイア・ステート・ビ ルディング・ロックフェラーセンターなど)が有名であり、一世を風靡した。しかし、大恐慌によりアメリカ経済が力を失 ってゆくと同時に流行は去った。 日本でも昭和時代初期の一時期、アール・デコ様式が流行した。当時、国際都市であった上海の近代建築にもア ール・デコの影響が見られる(サッスーンハウス、フランスクラブなど)。 https://ja.wikipedia.org/


4. Union Station


5.

1300 Block of Carol Avenue

1880 – 1890

キャロル通り (歴史建造物保存地区) Angelino Heights became Los Angeles' first Historic Preservation Overlay Zone (HPOZ) in 1983. アンジェリノ・ハイツは 1983 年にロサンゼルスの最初の歴史保存地区として指定された。 ロサンゼルスではビクトリア調の家が最もたくさん見られる地区である。 1900 年代にはロサンゼルスのダウンタウンから、このキャロル通りがあるアンジェリーノ・ハイツには電車で 短時間で行くことができた、いわゆる「郊外」だった。 1887 年のフィリップス邸 1894 年のハスキン邸。1887 年のサンダース邸。 1345 Carroll Avenue : マイケルジャクソンのスリラーのミュージック・ビデオのシーンに使用。 1329 Carroll Avenue (The Innes House):「Charmed」というテレビシリーズの主人公が住む家として使用。 1324 Carroll Avenue:2006 年のアダム・サンドラーの映画、「Grandma’s Boy」

1329 Carol Ave. “Charmed House’ 1887 Innes House The Innes House は 1880 年代後半にキャロル街 の開発が行われていた初期に建てられた。市 会議員のダニエル・インと不動産業者がデザ インした。外観は、特にステンド・グラスに 縁取られた上側の窓や、きちんとした直角ラ インの縁取りのデザインとでクラシックなビ クトリア調のデザインをかもし出す。 「Charmed」というテレビシリーズの主人公が住む 家として使用。

Sessions House セッション邸は、カリフォルニアのビクトリ ア調のデザインを得意としたサムエル&ジョ セフ・ニューマンがデザインした。ニューソ ム兄弟は、過去のカリフォルニアのイメージ にとらわれない、快適かつ目をよろこばせ、 「妙に優雅で、妙にカリフォルニアらしい」 特殊なスタイルの建築を紹介した。 1889 年には、この「Queen Anne」スタイルの 12 の部屋は完璧に修復(復元)された。


Victorian Style ヴィクトリアン建築の特徴: 大英帝国時代のヴィクトリア朝とは 1837 年から 1901 年の時期に建築された全ての建造物を ヴィクトリアン建築と呼ばれています。産業革命が起こったこともありそれ以前に比べて鉄やガラスが量産可能になり、建 築に巨万の資金を投入できた貴重な時代です。 ヴィクトリアン様式は過去(バロックやゴシック様式など)と未来を混合したスタイルが特徴でもあります。また家の特徴とし てはスレイト(とても薄くカットされた石材)ルーフとレンガの外壁です。また Bay Window(出窓)や玄関ドアにはステンドグ ラスを使っているものが多いです。家のタイプとしては Terrace house(日本の長屋風)か detached house(一軒家)のタイ プになります。イギリスで最もポピュラーな semi-detached house はビクトリアン期のあと 1920~30 年代頃にもっとも多く 建築された家です ヴィクトリアン様式の内装とデザイン: 住宅の内装はレセプション・ダイニング・バスルームとキッチンが 1 階で寝室などが 2 階、そしてロフトは 3 階にあります。それぞれの部屋には暖炉が残っているものが多く、鉄製のみの暖炉や鉄製暖炉の 両サイドに綺麗な絵柄のタイルが施されているものが多いです。実際イギリスの多くのヴィクトリアン様式の住宅では 100 年以上経っても暖炉が使えるようになっています。 また玄関ホールとダイニングルームの床がタイルになっているのも特徴です。家の壁は全てブリックになっており、壁紙や プラスターボードを剥がすとブリックが見ることができます。このようなオリジナルの特質が残っている家は今もとても人気 があります。 https://init.cm/articles/27

ヨーロッパ各地の建築様式を取り入れて作られた外観は 豪華な装飾が特徴となっている

クイーンアン様式はフロアプランも住宅の形状も不規則 で、寄棟屋根を中心にゴシック様式の急勾配の尖塔やガゼ ボを配置するのが特徴です。また一般的にビクトリアン様 式の住宅は、比較的狭い敷地にも建てやすいデザインでも あります。

ゴシックリバイバル様式とクイーンアン様式の複合である スティック様式は、急勾配の切妻屋根と繊細な化粧板貼りと ハーフティンバーで仕上げられた外壁がデザインの特徴です。

http://www.argentohome.com/archives/2008/07/po st-18.php


6.

Watts Towers.

103rd Street.

1921 to 1954

まるで、巨大生物の骨格のような、17 の高層彫刻塔の集合体、サイモン・ロディア・タワー(ワッツ・タワー) は、ロサンゼルスのワッツ地区のサイモン・ロディア州歴史公園にある。最高峰のタワーは 99 フィート(30 メートル)以上にもおよぶ。 イタリア移民で、建設労働者及びタイル職人のサバト(“サイモン”)・ロディア(1879-1976)が、たった一人 で 1921 年から 1954 年の 33 年もかけ完成させたものだ。手がけたときは彼は 42 歳だった。「何か大きな ことをやるべきだと思った。だからやった」と、突然三角形の土地を購入、まったく建築に関する教育を受 けていないにも関わらず着工した。ボルトや溶接、電動工具を一切使わず、足場も組まず、棒状の鉄を鉄 製の網で覆いセメントで固めながら、拾ったタイルや空き瓶、時には人形などを装飾として埋め込んだ。 彼はその塔の集合体を「Nuestro Pueblo (われらの町)」と呼んだ。 不許可建築として取り壊そうと 1959 年に政府が動くが、この塔の価値に注目し始めた芸術家、建築家、 ジャーナリスト、美術研究者、映画業界人らが反対運動を行なう。構造の脆弱性を試験する「10,000 ポン ドテスト」では検査のため使われた車の方が壊れるという驚異の強靭さを立証した。1990 年にはアメリカ国 定歴史建造物に指定された。 完成から 10 年後の 1965 年 7 月 16 日、サイモン・ロディアは 86 歳でこの世を去った。 ワッツ・タワーの存在は次第に世界に知られるようになり、1967 年に発売されたビートルズ 8 作目のアル バム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のジャケットに描かれる人物のなかで、ボ ブ・ディランの左隣(最上段の右から 2 番目)にサイモン・ロディアが載るという偉業を達成した。現在では 音楽フェスティバルやアートイベントがここで開催され、彼の願い「Nuestro Pueblo (われらの町)」はワッツ 地区のシンボル、街の誇りとして実現された。

サイモン・ロディア 1950


https://matome.naver.jp/odai/2140177002668442501/2140185880529521103


1.

Subway Terminal Building

417 S. Hill Street.

1925

ロサンゼルスの車の渋滞が深刻になるにつれ、パシフィック・エレクトリック鉄道会社はダウン タウンの地下にサブウェイを貫くという大胆なプロジェクトに乗り出した。「ハリウッド・サブ ウェイ」と名づけられたこのプロジェクトは、1924 年 2 月に設計され、同年 5 月にはついに地盤 工事が始まった。4th/Hill Street から、2nd Street/Glendale Blvd.である。 設計会社、Schultz & Weaver がデザインを任され、その当時の流行のイタリアン・リバイバル・ スタイルが起用された。 $1.25 ミリオンを出資し、18 ヶ月の建設期間を経て、1925 年 12 月 1 日に地下鉄は正式に一般に 公開された。しかしながら、ロサンゼルス地域の戦後の前例を見ぬ勢いで人口増加は、さらなる 車社会となり、南カリフォルニアの高速道路の増加とともない地下鉄の乗車客はしだいに現象し、 1955 年にはこの地下鉄は閉鎖された。 1955 年 6 月 19 日の朝(ちょうど、62 年前)、”To Oblivion (忘却行き)”と行き先が示された最後 の列車が地下鉄のトンネルを横断した。翌年、パシフィック・エレクトリックは、トンネルから 線路や車両を移動させた。ロサンゼルスは 38 年後の 1993 年 1 月に再び地下鉄の開通させること になるのである。

Subway Terminal tracks, c. 1925


2.

6th and Main Street Station

1905

このパシフィック・エレクトリック・ビルディングはいろいろな名前で呼ばれてきた。1905 年 には、パシフィック・エレクトリックの創立者、ヘンリー・ハンティントン(最初の大陸横断鉄 道の一つを建設したコーリン・P.ハンティントンの甥)にちなみ、ハンティントン・ビルディ ングと呼ばれた。また、その位置から、「6th・アンド・メイン駅」とも呼ばれたこともある。 かつては、パシフィック・エレクトリック・レッド・カーがダウンタウンのロサンゼルスから全 方向に走るターミナル駅であり、同時にパシフィック・エレクトリックの本社屋でもあった。 このロマネスクスタイルのビルは、建築家、Thornton Fitzhugh によってデザインされた。建築以 来、何十年もの間、シカゴから西の地域において、その 10 階立ての面積からして最も大きなビ ルであった。 1905 年から、1961 年の鉄道の中止(abandonment)までの間、数万人の乗客を運んだ。1961 年か ら 1964 年までは電車に代わり、同じ経路でバスが走った。今日では、商業スペースとロフトの 混在したビルに開発されている。

Main Street view c. 1907

Elevated tracks view July 7 1951


Romanesque architecture (ロマネスク建築) ロマネスク建築(Romanesque architecture)は、中世西ヨーロッパの建築様式である。時代区分とし ては、おおよそ 1000 年から 1200 年頃までのゴシック建築以前の建築を指す。同時代のビザンティン 建築と同じく、教会堂建築において最高の知識・技術・芸術が集約されており、彫刻や絵画は聖堂を 装飾するための副次的要素であった。ロマネスク建築の建築物は大陸全体で見られ、帝政ローマ建築 以来初めての汎ヨーロッパ建築様式とも言える。 ロマネスクという言葉は、美術史・建築史において、19 世紀以降使われるようになった用語である。 直訳すると「ローマ風の」という意味であるが、当初は「堕落し粗野になったローマ風の様式」とい う蔑称としての側面が強く、その芸術的・建築的価値が評価されるようになるのは 20 世紀になって からである[1]。

フランス、ノルマンディー地方のジュミエージュの 修道院付属ノートル=ダム聖堂(1070 年頃)

ウィキペディア(Wikipedia)より


3.

Herald Examiner Building.

1111 S. Broadway.

1912

Julia Morgan (January 20, 1872 – February 2, 1957) was an American architect in California. She designed more than 700 buildings in California during a long and prolific career. She is best known for her work on Hearst Castle in San Simeon, California. Morgan was the first woman to be admitted to the architecture program at l'École nationale supérieure des Beaux-Arts in Paris and the first woman architect licensed in California. This building housed the offices of the Los Angeles Herald Express that published the country’s largest afternoon circulation newspaper from 1903 to November 2 1989. On December 15, 1967, Herald Examiner employees began a strike that lasted almost a decade and resulted in at least $15 million in losses. At the time of the labor strike, the paper's circulation was about 721,000 daily and it had 2,000 employees. The strike ended in March 1977, with circulation having dropped to about 350,000 and the number of employees to 700. The Herald Examiners circulation was too far gone by the time the strike had ended and it never regained its circulation prior numbers forcing it to close in 1989.

Los Angeles Examiner Building. 1939


4.

Bell telephone Tower

420 S grand Ave

1961

The AT&T Madison Complex Tandem は、1961 年に完成した 17 階建て、259 ft (79 m)の高層ビルだ。 John B. 及び Anthony Heinsbergen がデザインをした。 1993 年までの間、全長 449 ft (137 m)のマイクロ波タワーはロサンゼルスでは 29 番目の高層ビル として、1.3 ミリオンのロサンゼルス局番 213 及びその他の局番と長距離局番電話をつなぐ役目 をした。 ほとんどのアメリカの町には、最低一つ、その中心地に昔ながらの電話交換機を置くビルがある ものだ。家族や友人たちを結ぶ手段として、窓のないマイクロ波のビルの中の山のような電気機 械設備に頼っていたのは、それほど遠くない時代なのだ。 昨今、古いビルは派手な光ファイバーや通信事業者から置き去りされているが、ワールド・ワイ ド・ウェブが我々のポケットの中のガジェットでなく、サイエンス・フィクション(空想科学) だった時代を、このマイクロウェブ・タワーは思い出させてくれる。

Bell Telephone Tower


5.

Broad Contemporary Museum

221 S. Grand Ave

2015

ザ・ブロードは、慈善家のエリ&エディス・ブロード夫妻がロサンゼルス・ダウンタウンのグランド・ アベニューに設立した新しい現代美術館だ。大手設計事務所ゲンスラーとの協力で建築デザインスタ ジオのディーラー・スコフィディオ+レンフロが設計したこの美術館は、2015 年 9 月 20 日(日)にオ ープンした。ブロード・コレクションの代表作 2,000 点が収蔵されている。 12 万平方フィート(約 11,150 ㎡)、3 階建ての美術館は、ブロード・コレクションのほぼすべてを収 蔵しつつ、1 階には 1 万 5,000 平方フィート(約 1,400 ㎡)、3 階には柱がない 3 万 5,000 平方フィ ート(約 3,250 ㎡)の展示スペースを確保しており、スカイライトと窓から、フィルターを掛けたよ うな自然光が差し込む設計になっている。「ベールと保管庫」と呼ばれるこの美術館の設計は、展示 スペース、および広範に及ぶ作品貸出活動を支えるコレクション収蔵庫という、この建物の鍵となる 2 つの役割を融合させている。 アート作品の貸出や美術館の作品保管方法を問い直す姿勢など、ブロード美術財団の広範囲にわたる 活動の重要性を踏まえ、この美術館の設計はアート作品の保管を前面に打ち出して、コレクションの 代表的作品を建物のまさに中心部分に収蔵している。来館者はどこにいても、建物の中ほどに浮かぶ 大きな「保管庫」の存在が視界に入る。その曲線を描く底面は、階下のロビーと鑑賞順路を形成して いる。 「保管庫」と対照をなすのは「ベール」であり、これは多孔状、つまりハチの巣のような外部構造を 指す。これは 1 ブロックの長さがある建物全体を包み、この構造物を通った自然光はフィルターがか けられたような光になって内部に差し込む仕組みになっている。このベールは、正面入口がある建物 角部分で引き上げられた格好になっており、来館者はここから賑やかなロビーとギフトショップに入 ることができる。来館者はその後、保管庫をくり抜くように走る全長 105 フィート(約 32m) のエス カレーターに乗って上方の光に向かって進み、3 階の展示スペースに到着する。その後、保管庫を貫 く形で設置されたらせん階段で階下に降りる際には、保管エリアの覗き窓から、膨大なコレクション を垣間見ることができるのだ。

左から: アンディ・キースハリン グ、 草間彌生(くさまやよい)


6.

Los Angeles Criminal Courts Building.

210 W Temple Street.

1972

1972 年、Adrian Wilson Associates が設計したこのビルは、もともと、「クリミナル・コート・ビ ルディング」と知られていたが、2002 年に、米国西海岸において最初の女性弁護士であるクラ ラ・フォルツ(Clara S. Foltz)にちなみ、「クララ・ショートリッジ・フォルツ・クリミナル・ジャ スティス・センター」と改名された。クララ・フォルツは、また、最初に国選弁護人の事務所を 設けることを提案した人物でもある。 このビルでは、様々な著名人の裁判劇が繰り広げられた。 1984 年には、ナイト・ストーカーで知られる Richard Spector 裁判。 1995 年には、O. J. Simpson 裁判。 2003 年には、Phil Spector 裁判。 2009 年には、マイケル・ジャクソンの死に関係して Dr. .Conrad Murry の裁判。 ちなみに、残虐な殺人事件でロサンゼルス中を恐怖に陥れた Charles Manson(チャールス・マン ソン)の殺人裁判は、1970 年に、ロサンゼルスの 211 West Temple Street の Los Angeles County Hall of Justice にて行われた。

Los Angeles Criminal Courts Building


7.

Baxter Street.

City of Los Angeles.

1884

1884 年にロサンゼル市から区画されたエデンデール地区は現在エコパークとして知られる、最 も急勾配な地域である。同地区内のバクスターストリートはなんと 32%の傾斜!坂道で有名なサ ンフランシスコでさえおよばない角度だ。 サイレント・ムービ(無声映画)が栄えた 20 世紀のはじめ、このエデンデール地区は、西海岸 では屈指の主要な映画撮影所があったことで知られていた。チャーリーチャップリンの最初の映 画が撮影されたのもこの地である。 エレンデール地区は 1910 年代のモーションピクチャー業界の全盛期を終え、1920 年代に入ると 撮影所のほとんどはハリウッドに取って代わることになる。後に、「世界の映画の街―ハリウッ ド」と呼ばれることとなる。 第 2 次世界大戦前のエレンデールはアーティストの住む最大のコミュニティーであり、なおかつ 最大のコミュニスト人口があった。

Saxophonist Art Pepper on Baxter Street 1956


8.

Angelus Temple

1100 Glendale Blvd.

1923

アンジェルス教会(Angelus Temple)は、教祖、エイミー・センプル・マックファーソン(Aimee Semple McPherson)のリーダーのもとに建設され、1923 年 1 月に献納された。ビルの礎石には、 「宗派を超え、世界中に福音をとどけるために捧げる。」と記されている。 メインフロアから 125 フィートまであるビルは当時の北アメリカで最大の建築物であった。 5,300 席もあるいわゆる「メガ・チャーチ」の草分けである。天井を飾る雲のパノラマはアーテ ィスト、アン・ヘネキ(Ann Henneke)によるもの。また、コンクリートとスティール使用の耐火性 に優れた寺院、そして8個のステンド・グラス窓に描かれたキリストの生涯は、ジョージ・ハス キンス(George Haskins)によるものだ。建物は 1972 年に改築されたが、内装と外観は当初のもの を保った。寺院のドームの上に十字架は昔からのランドマークである。1992 年には寺院全体の 建物が国の歴史的建造物に指定された。 「シスター・エイミー」として知られる、エイミー・センプル・マックファーソンはカナディア ン・アメリカンの福音伝道者だった。シスター・エイミーは 1920 年から 1930 年代において、 Foursquare Church の創立者としてだけでなく、いわゆるマスコミ界の有名人でもあった。 特筆すべきことは、マックファーソンは最初にモダンメディアを駆使した伝道者であるというこ とだ。彼女は当時一般大衆の間にすさまじい速さで普及していたラジオを用い、メガ・チャーチ の聴衆にアンジェルス寺院から毎週説教を流したのである。 1926 年には、マックファーソンはすでにもっと影響力のあるカリスマ的女性かつ伝道者となっ ていた。彼女はアメリカが生んだ旋風であり、まさしく “Phenomenon”と報道された並外れた人 物であった。当時の知名度の高い伝道者と並び、一般大衆から称賛され、クリスチャン伝道者と して最も報道された。彼女は大勢の前で公の癒しのデモンストレーションを行い、何万という人 が実際に癒されたと証言した。その説教の仕方、大々的な慈善活動、そして教会一致運動への貢 献はシスター・エイミーをカリスマ的伝道師とならしめた大きな理由である。 シスター・エイミーは 1944 年 9 月 27 日に昇天した。今日、彼女の教会は 700 万人のメンバーが いるという。

1933 年当時のアンジェルス教会の絵葉書


9.

Echo Park Lake

1870

Echo Park 湖は飲料水確保のために 1870 年につくられた。 1892 年には、Echo Park としてパブリックの公園となった。 ロサンゼルス市の未開発地区、西側に位置する湖は、当時、単に「貯水池第4」として知られて いた。初の地元飲料水供給の開発により、土地所有者たちはその不動産価値をあげるものと期待 した。 貯水池第4は、”Arroyo de Los Reyes”の谷底にあり、暴風雨時を除いては常に乾燥していた。人 口湖をつくるために、Los Angeles Canal and Reservoir Company は、arroyo(小峡谷を横断する 20 フィートのダムを作り、ロサンゼルス川と貯水池の間に長く曲がりくねった用水路を掘った。そ して渓谷を迂回した水で浸水するという作業が必要だった。水が溜まると、ロサンゼルス市内で 最大量の貯水湖となった。 https://www.kcet.org/shows/lost-la/echo-parks-lake-began-as-a-drinking-water-reservoir * arroyo とは、アメリカ南西部の乾燥地帯に時折降る雨で浸食された、通常は枯れ川になって いる小規模の険しい峡谷のこと。

Echo Park Lake looking northwest towards Hollywood c. 1880


10.

Coca Cola Building.

1334 South Central Avenue.

1915 & 1939

Interior of the Coke a Cola Building. c. 1937 流線形モダンビル、コカ・コーラビルディングは、建築家、Robert V. Derrah により 1937 年代に建てられた。1976 年には、ロサンゼルスの文化建造物として指定された。 船の明かり取りの形をした丸窓、細長い通路、プロムナードデッキ、周りの 5 つの商業ビルからのブリッジなどが特 徴。 コカ・コーラがそのシロップ製造工場を閉鎖した後、1990 年代にはおもちゃの会社 T. T. Toys がビルに入ったが、 入り口のコカ・コーラのサインは外さなかった。今でもコカ・コーラビルディングとして親しまれている。

下の、写真は 4th Street の別のコカ・コーラのビルの中。


11.

Santa Fe Railway, La Grande Station 200 S. Santa Fe Ave. 1893

Moorish スタイルのラ・グランデ・ステーションは、アトキソン・トペカ・アンド・サンタフェ 鉄道(以下、「サンタフェ鉄道」)のロサンゼルス内の主要乗客ターミナルだった。 1933 年のロングビーチ地震以来、乗客の安全を重視し、ラ・グランデ・ステーションは取り壊 されることになった。ユニオン・ステーションがオープンした 1939 年、サンタフェ鉄道はすべ ての乗客サービスはユニオン・ステーションに移され、このビルは第二次世界大戦後 1946 年に 取り壊された。 スタイリッシュなこの駅の中では多くのハリウッド映画が撮影された。 ローレル&ハーディーのフィルム、”Berth Marks” (1929)は最初の音声付映画が撮られたのもここ である。Choo Choo 1931 (Our Gang - Little Rascals)、 Lady Killer, 1933 with James Cagney, Swing Time 1936 (Fred Astaire) 、Something to Sing About 1937 (James Cagney)などがある。 1942 年、ラ・グランデ・ステーションは、日系アメリカ人及び日本人をアメリカ各地の抑留キャンプに移動 するために使われた。世間の詮索や抑留者への攻撃を避けるため、新しく建設されたユニオン・ステーシ ョンでなく、ラ・グランデ・ステーションが使用されたのである。 現在ではラ・グランデ・ステーションはその姿を消し、過去の出来事をものがたるものはあとかたもない全く 別の風景となっている。

Santa Fe La Grande Station c. 1893


Moorish スタイル建築: 馬蹄形(U字型)のアーチ、Ogee アーチ、Zellige という細かな幾何学模様のタイルなどが特徴の 10 世紀から 14 世紀にかけて、中近東や、スペイン(主にコルドバ、アルハンブラ、グラナダ地方)栄えた建築デザイン。

馬蹄形(U字型)のアーチ (Seville, Spain)

Zellige タイル (Meknes, Morocco)

Ogee アーチ (Prima, Germany)

Alcazar(宮殿 (Seville, Spain)

(Seville, Spain)


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