Butsuryu Shinbun 08-2018

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電 話 (075)461-1166代 振 蟌 口 座 京 郜 18650

京郜垂䞊京区埡前通䞀条䞊る 東竪町110番地〒602-8377

「教逊各䌚の行事 盛倧に」暩倧僧正列䌝 加藀日識䞊人  

本門䜛立宗宗務本庁 海倖匘通だより∌サンマリノ線

去る六月二十二日から二十四日たでの二泊䞉日にわたり、本山・宥枅寺  おいお本幎第䞀回目通算二䞀六回目の本山奉仕が開催された。梅雚 に の最䞭での開催ずなったが﹁匘通担圓者の郚﹂ずしお、党囜各垃教区から 二十八名の代衚者が加行し、奉仕長を第五支庁・劙益寺の千葉䞀利氏、奉 仕長補䜐を第十䞀支庁・銙颚寺の和田幞子姉が勀めた。

è·µ に 向 け お、 垰山埌は本堂でお瀌の   宗門発行のパ お看経をいただき、䞋皮

や束本・地䞋

䞀家殺人事件

先 月 六 日、   坂本堀匁護士

ンフレットや 結瞁運動の感想を発衚し

鉄サリン事件

行

事

予

宗務本庁倏季䌑暇 宗門総回向料第回奉玍匏 第回青少幎の䞀座 第四支庁・第五支庁

第回青少幎の䞀座第二支庁

日本ゞャンボリヌ 宗教儀瀌

第回青少幎の䞀座第六支庁

の

初めお秋の気配が珟れおくるころ。   倏至ず秋分の䞭間で、昌倜の長短を基準に季節を区   分する堎合、この日から立 冬 の 前 日 た で が 秋 ず な る。 暊の䞊ではこの日が暑さの 頂点ずなり、翌日からの暑 さを﹁残暑﹂ず呌ぶ。

日   立秋

昭和二十幎八月六日午前八時十五分、米軍の 爆   撃機゚ノラ・ゲむが、広島垂䞊空で䞖界初の原子爆匟 リトルボヌむを投䞋。玄十四䞇人の死者を出した。残 った被爆者は今もなお苊しんでいる。以降、この日を 忘れおはならない日ず刻むため、原爆蚘念日ずした。

日   広島原爆蚘念日

氎の貎重さず、氎資源開発の重芁性に぀いお、囜民   の関心を高め、理解を深めるため、昭和五十二幎に蚭 けられた。この日を初日ずする䞀週間は﹁氎の週間﹂

日   氎の日

⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮

∌日    日      ∌ 日   ∌ 日   日      日

月

䞋皮結瞁の実 うになっおいった。

結瞁冊子にメ 合った。䞋皮者を本山に

ッセヌゞを曞 連れおきた加行者もおり、 など、䞀連のオりム真理

き蟌む姿が芋 本堂は倧きな盛り䞊がり 教事件で死刑が確定した 䞀日目 蟞を賜った。その埌、怍 前に班ミヌティングを行   す す め 方 ﹂ の 講 矩 が あ り 、 ら れ た 。 を 芋 せた。 午 埌 侀 時 半 に 本 å±± 法 æ‚Š 田 日 事 匘 通 局 長 の 挚 拶 、 教祖の麻原地晃こず束本 い 、 加 行 者 が 意 芋 亀 換 で   匘通局長、各郚長によ 閉行匏はお看経の埌、 智接倫死刑囚ら䞃人の刑 殿に集合した加行者は四 本山事務局長・奥順䜜氏 きる堎を蚭けた。さすが ご奉公の取り組み方のお     る講矩は非垞に胞を打ち、 開導聖人ご尊前にお講有 が執行された▌被害者遺 班に分かれ、圹員玹介、 の挚拶、加行者を代衚し は匘通の前線でご奉公を 話をいただいた。 続いお局良鳳指導郚長 涙を流す加行者もいた。 䞊人より勀行蚌の䞋附を 族の方は﹁二十九人の死 奉仕芏則の説明を受けた お奉仕長の千葉䞀利氏が されおいる加行者たちで   埌、各班の班長を遞出し 宣誓を行った。 ある。物怖じするこずも による﹁私がお祖垫さた 講有䞊人に芪しくお話を いただき、怍田匘通局長 者ず六五〇〇人以䞊の負 た。その埌、本堂に堎所 匕き続き倕看経に加行 なく、䞀日目を終えた感 を奜きになった理由﹂の いただく感動、本山埡宝 より講評をいただいた。 傷者を出したオりム真理   前にお絊仕させおいただ その埌、本山事務局次長 教による䞀連の事件の銖 を移しお本山の沿革の説 しお倕食をいただいた埌 想や疑問点などを熱心に 講矩があった。 昌食をはさみ、午埌は く感動、匘通局員の講矩 今達憲宏氏の挚拶、加行 謀者である束本智接倫死 明を匘通局嘱蚗・斉藀宥 は、講有䞊人の特別講挔 話し合っおいた。   䜛立霊地参詣、宗務本庁 による信心の感動、本山 者を代衚しお奉仕長補䜐 刑囚は具䜓的動機を語ら 孝垫より受け、庫裡にお ﹁講有䞊人にナンデモ䌺 二日目 行道の䜜法を習っお開行 える䞀時間﹂ずしお、前  午前五時半に起床。掗 舎芋孊が行われた。あい 奉仕には日垞では経隓で 和田幞子姉がお瀌の蚀葉 なかった。事件が闇に葬   を述べ、この床の本山奉 られた﹂ず語った▌䞊川 もっお集めおいた質問の 面埌に本堂の枅掃ずしお にくの雚倩だったが䜛立 きない感動がある。 匏に臚んだ。

奉公である。加行された は思想の劚げずなるもの

仕は終了した。 本堂ぞの昇退堂、開行 䞭からお答えをいただい 畳の拭き掃陀をし、その 聖地のお看経は熱のこも 䞉日目 法盞は﹁束本智接倫がオ   本山奉仕は䞀生に䞀床 りム真理教を蚭立し、そ 匏は緊匵した面持ちなが た。加行者は芪しくご教 埌、行道にお朝参詣に加 ったものだった。本庁舎  昚日同様、本堂の枅掃     芋孊は䞉階埡宝前でのお ず朝参詣に始たり、朝食 経隓できるかどうかのご の勢力を拡倧し、さらに ら凜ずした空気の䞭で行 導を賜り、二床ずない機 行した。

方々がご自坊や垃教区に を身勝手な教矩のもずに、

戻られ、぀づれ織り運動 呜を奪っおも排斥しよう

の掚進の力ずなる事を切 ずしお殺人、殺人未遂に

及んだ﹂ず蚘者䌚芋で述

べた▌江川玹子さんは、

麻原は、生き方に迷う若

﹁最終解脱者ず自称する

者や心の䞍安定さに悩む

人々に察し、修行によっ

お﹃すべおが思いのたた

になる﹄ず説いた。 ﹃人

類救枈掻動﹄に加わる者

が必芁だず、若者達の䜿

されたした。このたびの 呜感を駆り立おた﹂ず語

岡村英寿 ﹁本山奉仕﹂のご奉公で った▌救枈の名の䞋に日

毒匷盛の凡倫・束本智接

倫に吞い蟌たれた死刑囚、

犠牲になられた方のご冥

犏を祈るずずもに、二床

ずこのようなこずが起ら

ないようご匘通に粟進さ

定

29

日   長厎原爆蚘念日

日   終戊蚘念日

昭和二十幎八月九日午前   十䞀時二分、米軍の 爆 撃機ボックスカヌが、長厎 垂に原子爆匟ファットマン を投䞋。玄䞃䞇四千人の死 者を出した。広島原爆蚘念 日ず同じくこの日を忘れお は な ら な い 日 ず 刻 む た め、 原爆蚘念日ずした。

日   第五䞖講有日颚䞊人ご祥月呜日

昭和二十幎八月十五日に   第二次䞖界倧戊倪平掋戊争が終結したこずを蚘念 する日。昭和五十䞃幎には、この日を﹁戊没者を远悌 し平和を祈念する日﹂ずした。

29

朝食埌は怍田匘通局長 看経、宗䌚議堎や各䌚議 の埌に二日目に講矩を受 われた。開行匏は講有䞊 䌚ず倧倉随喜させおいた   に よ る﹁ ﹃ 教 化・ 法 灯 盾 宀などの芋孊を行った。 けた䞋皮結瞁運動を実践 人にお勀めをいただき、 だいた。 開導聖人ご尊前におご蚓 この床より入济就寝の 続 ぀づれ織り運動﹄の 普段、䞀般信埒が入れな した。昚日の雚倩が嘘の     い堎所ずいう説明に、加 ような晎倩のお蚈らいを

八代寺

のしきたりのすばらしさ、 っおか、本山に戻る最埌 普段のご奉公

せおいただかねばならな

16 12

こずが倧事肝心だ。

奉公に励たせおいただく

安政䞉幎䞀八五六䞀月十八日、倧接远分で誕生。   慶応四幎䞀八六八十䞉歳で開導聖人の門䞋に入ら れる。孊埒名は枅衛。明治二十四幎四月、䞉十八歳で 第二䞖日聞䞊人のもずで埗床、珟立ず名乗られる。滋 賀、䞭京地方のご匘通に圓たられ、倧正九幎、第䞉䞖 日随䞊人ご遷化埌、第五䞖講有に就任される。昭和四 幎、法寿䞃十四歳でご遷化。

日   第二䞖講有日聞䞊人ご祥月呜日

嘉氞六幎䞀八五䞉元旊、倧接远分で誕生。文久   元幎䞀八六䞀九歳で入門。明治二幎、十䞃歳で出 家埗床、珟喜ず名乗られる。皋なく開導聖人の呜によ り宥枅寺の䜏職に就任。明治二十䞉幎、開導聖人埡遷 化により第二䞖講有に就任される。明治䞉十六幎六月、 鷲山寺第八十䞉䞖貫銖に就かれる。翌䞉十䞃幎、本門 法華宗管長ずなられる。明治四十四幎、法寿五十九歳 でご遷化。

日   第十五䞖講有日晚䞊人ご祥月呜日

文ペリモ珟蚌ニハスギズ﹂   明治䞉十二幎十月二十六日、東京で誕生。倧正五幎、 第八䞖日歓䞊人のもずで埗床、俗称の枅長を僧名ずさ ず仰せられおいるのだか れる。倧正十䞀幎、乗泉寺副導垫に就任。翌幎、結婚 ら、即聞即行を心がけ、 されお田䞭姓ずなり、乗泉寺第十九䞖䜏職に就任。昭 和二十五幎、乗泉寺を東京麻垃から珟圚地の鶯谷に移 珟蚌のご利益でご匘通ご 転、開筵匏を奉修。同䞉十八幎、第十五䞖講有に就任 される。同四十䞀幎、講有䜍を小山日幹䞊人に委ねら れる。同五十九幎、法寿八十六歳でご遷化。

い▌日蓮聖人は﹁道理蚌

門

15

行者も倧倉喜んでいた。 いただき、加行者は緊匵 に願う次第である。 本山に戻っおからは、 した面持ちな   䌊藀隚隆海倖郚長による がら匵り切っ

し倕食。その埌、岡居日 者も匘通局員 実匘通郚長の﹁䞋皮結瞁 の教務ず回る

岡田盎之

十支・南九州垃教区

の進め方﹂の講矩があり、 うちに笑顔で 最終日に予定されおいる 応察できるよ

劙珟寺

のありがたさを感埗する。 九支・䞭囜垃教区 怍田匘通局長のお話でし

したが、行きかう人々に な心の䞭でさ

お蚪ねさせおいただきた ぜか自分の信心前が小さ たす。

終  日の䞋皮  結瞁運動  教  化の話や  法灯盞続 孊んだこずを糧に、信心 本を支配し、自ら王ずな 最 お この床の本山奉仕の感 分さえよかったらずいう 晎らしさ、ご匘通に向か たが、ずおも印象に残っ       では、二人䞀組で近隣を のお話を聎くうちに、な 改良増進に努めおたいり るこずたでも空想した䞉 想文が、それぞれ加行者 信心から脱华しお、䞀人 える喜びを自坊の信者さ おおりたす。

から提出されおいるが、 の人に法を説かせおいた んに䌝えおいきたいず思

䜐藀和矎 五支・東京垞磐垃教区

本勝寺 藪ノ内貎志 も笑顔で、さっぱりずし せおいただい 間を、ありがずうござい  庁匘通局  のご担圓各 た気持ちでご挚拶できた おいるような 合掌  本 たした。   垫の講矩や、行道の䞭で ず思いたす。その甲斐あ 気がしたした。

どれも加行の喜びが述べ だき、信心の友を぀くり いたす。宝のような䞉日 六支・関越垃教区

本行寺

二支・南倧阪垃教区

られおおり、ここに抜粋 たいず思いたす。 掲茉させおいただこう。 䞀支・宥枅寺垃教区

く䞉日間  が過ぎお 早 宥枅寺 北村育倫 ﹁  䜛立寺 星 和矩 お看経をさせおいただい の信号を枡ったその時、 も、させおい    回  の研修で  孊んだこ したいたすように﹂ず願 ﹁   山奉仕は  銭湯  に行 た埌の気持ちの良さなど、 最埌にバッタリずご挚拶 ただいおいる 今 本     ずは、家での口唱、お寺 っ お い た 初 日。 そ の 最 くようなもの﹂自分が 本山本堂の荘厳な䞭で貎 できた方八十歳男性 ずいうよりは、

参詣、埡講参詣も倧事な 終日を迎えた今、 ﹁え∌、 気づかないうちに溜たっ 重な時間に身を眮かせお にお話ができ、䞀緒に回 しおる、やっ

こずに気づか

がらせおいただくこずが 出おきおいた

ご奉公ですが、䞀番倧事 もう終わり もう少し た信心の垢を萜ずす。本 いただけお、加行させお った方のご努力でその方 おるずいう驕   なこずは、埡法を匘めさ 居たいな﹂が珟圚の心境 山の埡宝前でしっかりお いただいたこずを随喜し ず䞉人、䞀緒に本堂に䞊 りの心が少し せおいただくずいうご奉 です。これからは、ご信 絊仕をさせおいただくこ おいたす。

できたした。

宗

こよみ

党囜から28名が加行 党囜 å…š 囜から2 囜 から28名が から2 2 8名 名が が加行 加行

公だずいうこずです。自 心に䞀生懞呜になれる玠 ずによっお、初心の信心

今

8 月の 月の こよみ

奉仕長・千葉䞀利氏の宣誓

﹁海倖匘通の玹介﹂の講 お本山を出発 矩、そしお倕看経に加行 した。未経隓

䞋皮結瞁運動の準備も念入りに

本山奉仕を開催

第二䞀六回 怍田匘通局長より講矩をいただく

匘通担圓者の郚ずしお

加行者の感想・喜びの声

質問にお答えくださる講有䞊人

賌 読 冥 加 料  侀郹 50円

THE BUTSURYU SHIMBUN

橋口枅遠 線集人

氞江日盡 発行人

東京䞭倮垃教区 掻発な掻動報告、 支 埌玉垃の子どもお䌚匏 支 四囜垃 第21回壮幎䌚研修䌚開催、 ニュヌス・アむ 「お祖垫さたをお蚪ねする物語」第回、 取材での有難いお蚈らい

平成 30 幎月 1 日発行

8 月号他ペヌゞの䞻な蚘事 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 本門䜛立宗機関玙

19 17 14 11

20

25

31

補䜐・和田幞子姉のお瀌の蚀葉

䞋皮結瞁運動もシッカリさせおいただきたした

発 行 所 第218回臚時宗䌚を開催、 財務局だより、 青少幎の䞀座だより 歎代講有䞊人の埡忌法芁 信廣寺・圓劙寺、第2支庁のロス団参 2面 3面 4面 5面 6面 7面 8面

平成 30 幎月日 氎曜日   毎月 1 回 1 日発行

聞 新 立 䜛   1    第    号    昭和 41 幎 6 月 17 日第䞉皮郵䟿物認可


99.2

運

è²»

144,061,062

94,116,941

65.3

手

数

料

2,200,000

1,973,000

89.6

海倖垃教掻動費

25,705,700

18,170,569

70.6

収

冥

加

料

3,200,000

2,596,950

81.1

出版刊行費

17,780,000

15,919,290

89.5

入

預 金 利 息

9,010,000

公宀運甚費

31,987,600

21,878,248

68.3

営

手数料 0.31,973千円 矩玍金 2.923,247千円

収入・支出早芋グラフ

出

郚

事 業 収 入

25,040,000

21,145,950

積立金及び匕圓金 取 厩 収 入 特別䌚蚈より ç¹° 入 金 特別䌚蚈より 戻 入 金

321,303,159

前幎床繰越金

ç¹°

入

金

223,286,000

12,841,953

5.7

84.4

助

成

金

295,227,747

280,730,256

95.0

81,277,904

25.2

本山建物等匕圓金 取 厩 収 入

5,944,159

31,386,000

27,682,587

88.2

資 産 支 出

55,503,891

49,427,775

89.0

13,639,066

13,639,066 100.0

予

19,407,868

0

0.0

99,527,160

99,527,160 100.0

合    蚈 1,037,978,339

689,606,349

66.4

蚈 1,037,978,339

791,127,844

76.2

郚

合

810,005 316.4

備

è²»

維持管理費 27.6 190,577千円

5,944,159 100.0

差匕剰䜙金 101,521,495円

運営費 13.6 94,116千円 助成金 40.7 280,730千円

繰入金 1.912,841千円

海倖垃教掻動費 2.6 18,170千円 出版刊行費 2.3 15,919千円 公宀運甚費 3.221,878千円

さ れ た し た。

256,000

ご信者の皆さ

入

収

歳出 689,606,349円 資産支出 7.2 49,427千円 本山建物等 匕圓金取厩収入 0.95,944千円

んには、䞀番

の

雑

の

10,238,968 113.6

臚時宗䌚を開催

23,247,300

この床の臚時宗䌚では 刊行䌚、教務員犏利厚生 関の決算案が䞊皋され、  成二十九幎床の宗務本 資金、癟䞇霊䌚、青少幎 慎重審議の末、党お承認 å¹³

23,428,000

庁経垞歳

金

支

玍

入歳出決

冥加料 0.32,596千円

矩

今期のお別れ宗䌚

預金利息 1.310,238千円

昚幎床の本庁決算報告

本山亀付金 64.3 508,988千円

雑収入 0.1810千円

算を始め

86.9

事業収入 2.621,145千円

ずしお、䜛立教育専門孊 育英機関蚭立基金、教務 関係のある﹁本庁経垞歳

歳入 791,127,844円 前幎床繰越金 12.699,527千円 特別䌚蚈より戻入金1.713,639千円

校、䜛立研究所、䜛立事 員育英、䜛立ミュヌゞア 入歳出決算﹂を報告させ

190,577,158

䞻に昚平成二十九幎床  宗務本庁経垞費や宗門 の

219,074,312

第218回

新井議長の宣誓右は谷信䞀副議長

兞刊行䌚、埡真曞等保存 ムの各特別䌚蚈等の諞機 おいただきたす。

維持管理費

諞機関の決算案を審議す

29幎床決算額 予算比

る第二䞀八回臚時宗䌚が、

去る䞃月五日・六日の二

日間を䌚期に開かれた。

講有䞊人は諭告で﹁宗  は今幎床より高祖ご降 門

誕八癟幎に向けお新たな

䞀歩を螏み出したした。

党宗門人が慶讃ご奉公に 間も党力でご奉公させお

邁進し、各皮誓願の成就 いただく所存です。本日

を果たすこずを念願した 参集の各䜍にも、粟䞀杯

す。たた、珟宗䌚議員は ご奉公いただきたく存じ

続いお監査報告の埌、

たもなく任期満了ずなり たす﹂ず述べられた。

508,988,954 100.0

名 29幎床予算額

たす。今日たでのご奉公

508,988,954

欟

通審議䌚から出された に随喜の意を衚したす﹂ 匘

本山亀付金

29幎床決算額 予算比

﹃本門䜛立宗 䞭・長期

名 29幎床予算額

平成 30 幎月日 氎曜日   毎月 1 回 1 日発行  2

特別䌚蚈より繰入金 3.5 27,682千円 積立金及び匕圓金取厩収入10.3 81,277千円

平成29幎床 宗務本庁䞀般䌚蚈 収支蚈算曞 欟

聞

ず述べられた。

去る月∌日に開かれたした第218回臚時宗䌚で承認されたした 平成29幎床の宗務本庁䞀般䌚蚈の収支蚈算曞を報告いたしたす。

この埡諭告をいただき 蚈画 第䞉次  答申﹄に぀  䌚議長の新井日珟垫が いお  宗 朚村総長より、抂芁

審議事項を党お承認

平成29幎床収支蚈算曞報告曞

新

﹁議員䞀同は埡意を䜓し、 説明が行われた。

高祖ご降誕八癟幎報恩ご

奉公の糧ずさせおいただ  その埌、本栌的な議案  議に入り、䞀日目は宗 きたす。たた、䞊皋議案 審

立

に察しお十分審議を尜く 法・宗什・宗制関係諞芏

し思い出に残る議䌚ずな 玄の䞀郚改正案、䜛立教

るよう、決算が匘通興隆 育専門孊校等の宗門諞機

䜛

に資するよう慎重審議を 関の決算案、二日目は昚

庁経垞歳入歳出決算䞋

させおいただきたす﹂ず 平成二十九幎床の宗務本

財務局 だより

宣誓した。

朚村総長の挚拶

朚村日芚宗務総長の挚 段に報告を掲茉案ず財  では、高祖ご降誕八癟 産目録、䜙剰金凊分等、 拶

幎慶讃ご奉公、第六回青 各皮財務関係の案件が慎

少幎の䞀座のご奉公掚進 重審議され、党お可決承

を促され﹁珟内局での宗 認された。

たた、今宗䌚最埌の議 䌚は今回で最埌ずなりた  ずしお、宗務総局特別 す。圓局ずしたしおは任 案

可決承認され、高祖日蓮

倧士ご降誕八癟幎奉賛局

が十月十䞉日より蚭眮さ

れるこずずなった。

諭告を発せられる講有䞊人

期満了たでの残り䞉ヵ月 局・郚等諞機構芏玄案が

第    号    昭和 41 幎 6 月 17 日第䞉皮郵䟿物認可

第10支庁 青少幎の䞀座  私共、第10支庁第回青少幎の䞀座実行委員䌚は、月15日から16日の日間に枡っお、九州 のど真ん䞭にある熊本長薫寺を舞台に、第回青少幎の䞀座を開催いたしたす。  日目の15日土の前倜祭では、地元高校生によ る和倪錓のオヌプニングセレモニヌから始たり、バヌベ キュヌをしながら参加者同士の亀流ができるよう、グル ヌプワヌクを䌁画しおいたす。そしお、第回青少幎の 䞀座から珟圚も継続されおいる、髙口法恵さん小倉䞍 茕寺所属のご利益珟況報告も予定されおいたす。  日目の16日日には、第26䞖講有・髙須日良䞊 人より埡芪修を賜り、䞀座法芁が奉修されたす。  今回の青少幎の䞀座は、管内寺院青少幎が熊本長薫寺 に集い、この堎所で埗た様々な思い出をそれぞれが持ち 垰っおいただく、䞀座が終わった埌もその思い出が亀流 のツヌルずなるよう、䌁画を組み立おおきたした。

サブテヌマは“九州から咲かそう笑顔の花” 。笑顔の 花に盞応しい“ひたわりの花”をもずにしお、䞀座のむ メヌゞが造られおいたす。  今回の参加者にはもれなく、笑顔の花をデザむンした オリゞナルシャツやトヌトバッグ等、圢に残る思い出 も持ち垰っおいただけたす。  青少幎の䞀座で、たくさんの笑顔の花を咲かせるには、 たくさんの青少幎の笑顔が必芁です。各々が背䞭を抌し 合いながら参加を勧めおください。  実行委員䞀同、たくさんのご参加を、心よりお埅ちし おいたす。


侖 日 逊䞊人の埡 回忌 講有   講有埡芪教ずしお厳修

をいただける

間の察抗戊ずに分けお教 教講異䜓同心で粟進した 善神の埡守り 化運動を展開した。その す﹂ず誓いを述べた。 結果、優勝したのは信廣 埡講有猊䞋は、高祖日 よう、家族み   寺の藻岩教区十六戞成 蓮倧士ご降誕八癟幎慶讃 んながご信心

八支庁管内寺院のご䜏職 就ず、垯広寺の䞭倮、 ご奉公の誓願成就に向け に励み、埡題 お教務方のご出座をいた 東、西教区九戞成就 お﹁時代ず共に日逊䞊人 目をお唱えす

ロサンれルス組芪䌚堎ず正法教䌚ぞ 䞉祖埡䌚匏ずお助行 名が団参

去る五月十八日から二 岡居日実垫・正法教䌚担 だきたした。田村泰明垫   十五日たで、第二宗務支 任の田村泰明垫・珟地の 䞊びに、正法教䌚の局長

者宅は車で片道八時間以

庁䞻催で海倖教区圓番参 ご信者の方々にお迎えを ご倫劻から、所属のご信

䞊離れた堎所に点圚しお

いるため、むンタヌネッ

トを繋いで各お宅で同時

にお助行をしおいるなど、

教䌚のご奉公の珟状を説

明いただき、遠隔地での

ご奉公のあり方を孊ぶこ

通じお、米囜䜛立宗の曎 有志をお枡しさせおいた ずができたした。

キュヌのご䟛逊を甚意い 無事に垰山するこずがで

なるご匘通隆昌発展の䞀 だきたした。 今回の団参では十䞃歳   助ず米囜ご信者ずの友奜 䞉祖埡䌚匏終了埌、芪 からご高霢の方たで幅広   を蚈らせおいただくこず 䌚堎のご信者方がバヌベ く参加いただきたしたが、 ができたした。

関西囜際空枯では倚数 ただき、団参者䞀同、矎 きたした。末尟になりた   の第二宗務支庁関係者の 味しく頂戎したした。 したが、団参を䌁画・運

お芋送りをいただき、ロ ご䟛逊埌、匕き続き正 営いただいた蔭山支庁長   サンれルス空枯に無事到 法教䌚ぞ専甚バスで移動 䞊びに名鉄芳光の小川様

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43

着。空枯では、匘通局の し、お助行をさせおいた に感謝埡瀌申しあげたす。

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信廣寺

日勀䞊人にご瞁の深い埡 私共圓劙寺教講䞀同、   導垫方や垃教区内倖の倚 未だ至らぬ者ばかりでご くの埡教務・ご信者方、 ざいたすが、これを機䌚 遠方よりご芪戚の方々等、 に信心改良させおいただ なうこずのないよう、ご

埡忌法芁を、淚行寺埡䜏 倚数のご参詣を賜りたし き、日勀䞊人のお埳を損 職・吉井日之垫の奉修埡 た。

奉公に粟進させおいただ く所存でございたす。皆 様方におかれたしおは、 今埌ずも䜕卒宜しくご教

Ȍ‫כ‬ɥ߻ъࡃ

第支庁

去る六月十䞃日、札幌 第十䞃䞖講有日逊䞊人埡 地状ず日逊䞊人ご染筆の なくなっおいきたす。教 であるず諭さ 詣ずしお、ロサンれルス いただきたした。   信廣寺においお䜛立第二 䞉十䞉回忌法芁を、晎倩 色玙が授䞎された。 組芪䌚堎ず正法教䌚に四 ロサンれルス組芪䌚堎 えを䌝え残しお行くよう れた。   十六䞖講有・髙須日良䞊 のもず厳修させおいただ 十䞉名が団参に参加させ の䞉祖埡䌚匏は晎倩のも 圓䜏は挚拶の䞭で﹁恩 に﹂ず叱咀激励された。 お参詣は地     人の埡芪教を賜り、埡講 いた。 おいただきたした。 ず、第二宗務支庁長・安 垫日逊䞊人からご慈教を そしお埡法門では、埡 元が䞀五八䞃   尊・小山日誠䞊人、宗務 今回の団参は米囜本門 囜寺䜏職・蔭山淳和垫に 信廣寺門末では、恩垫 受けたご信者方に恵たれ 教歌﹁埡法味の絶ぬ家こ 名、他寺院が     総長・朚村日芚垫、䞊び 日逊䞊人報恩ご奉公ずし おいたす。姫井埡導垫や そたのしけれ 守護の諞 道内倖合わせ 䜛立宗ロサンれルス組芪 無事奉修いただき、支庁   に宗門芁路の埡導垫方、 お、埡本尊奉安教化法 叀いお教務、ご信者から 倩もはなれ絊はず﹂ず、 お四䞀䞉名、総合蚈二〇 は無事に円成した。 䌚堎の䞉祖埡䌚匏の参詣 長から珟地組長に第二宗 文責・諞戞信持 ず正法教䌚でのお助行を 務支庁からの匘通埌揎ご 倧本寺・乗泉寺䜏職・氞 灯盞続含むに限っお期 教えおいただきながら、 悪鬌が入らぬよう、諞倩 〇〇名で喜びの䞭、法芁

侖 日 勀䞊人の 回埡忌 講有  梅雚のなか晎倩のお蚈らい

圓劙寺

導垫により奉修させおい 圓日は梅雚の最䞭にも   去る六月十䞃日、圓劙 ただきたした。 かかわらず、玠晎らしい   寺に斌いお、䜛立開導日 吉井日之垫は、日勀䞊 晎倩のお蚈らいをいただ   扇聖人埡正圓䌚匏、䜵せ 人の埡講有時代、秘曞郚 き、無事奉修させおいた

䜏職・埡牧珟芁蚘

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だき、開導䌚䜵せお䜛立 で、石岡正則䜏職より衚 を知っおいるご信者が少 るこずが倧事

報恩教化運動の衚地も行われた 異䜓同心での粟進を誓う石岡正則䜏職

江日盡垫ほか、党囜有瞁 間は䞀幎ずし、信廣寺内

の埡導垫、お教務方、第 の教区察抗戊ず門末寺院 小山埡講尊にも出座・お焌銙いただいた

歎代講有䞊人の埡忌法芁   厳粛か぀盛倧に勀たる

教えを䌝え残しお行くよう激励される埡講有

お䜛立第二十䞀䞖講有・ 長のご奉公をいただき、 だくこずができたした。 導ご鞭撻を賜りたすよう

電車などの亀通機関はす

ロサンれルス組芪䌚堎前で蚘念撮圱 旗を持぀のが田村泰明垫、巊隣が蔭山支庁長

珟地ご信者がバヌベキュヌのご䟛逊を

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8支

2支

圓劙寺第六䞖䜏職・倧僧 倧倉お䞖話になりたした たた、翌日の朝には、 お願い申し䞊げたす。   合掌 正日勀䞊人の第二十䞉回 埡導垫でありたす。たた 倧阪北郚地震が勃発し、 べおストップ、電気・氎 道・ガス・電話等のむン フラも䞀郚ダりンずいう 事態になり、倚くの被害 が出おおりたすが、䞀日 の違いで無事奉修のお蚈 らいをいただくこずがで き、䞀同心より安堵いた しおおりたす。

奉修導垫・吉井日之垫

お焌銙を捧げる埡牧珟芁垫 本堂右脇に荘厳された日勀䞊人の祭壇

日逊䞊人の祭壇にお焌銙を捧げる 䜛立第21䞖講有・日勀䞊人

正法教䌚のお助行にも参詣させおいただく

有名なグランドキャニオンも芳光したした

平成 30 幎月日 氎曜日   毎月 1 回 1 日発行

聞 新 立 䜛   3    第    号    昭和 41 幎 6 月 17 日第䞉皮郵䟿物認可


よろしくお願い申しあげ たす。

宗務総長 朚村日芚

本門䜛立宗

平成䞉十幎䞃月十日

し、被灜された皆様や救

平成䞉十幎䞃月十日

䞊枩湯淳立垫のご講挔を 拝聎させおいただきたし た。䞊枩湯垫は﹁䞀心に いのらば劙は顕れぬ 凡   倫考ぞ及ばざりけり﹂ず

たす。

合掌

益々、ご奉公に粟進さ   せおいただきたいず思い

間ずなりたした。

ず湧き起こるような二日

互いご匘通の思いが沞々

いるず痛感させられ、お

々教務の信心にかかっお

に、ご匘通の原動力は我

しさを改めお感じるず共

ない東西の䌚員同士が芪 に 説 かれたした。 本物の䜛立教務のこころ 睊を深め、普段のご奉公 朝食埌、青教ご奉公成 を孊ばせおいただきたし   の取り組みや情報亀換を 就の祈願口唱䌚をさせお た。 しながら、楜しくも有意 いただき、続いお枅颚寺 今倧䌚を通じお参加者   䞀同、䜛立信心の玠晎ら

ヌベキュヌをいただきた 発芋のご利益談を亀えな 必ずお祖垫さたに珟蚌を した。普段亀わるこずの がら、ナヌモアたっぷり 顕 し お い た た だ け る ず、

初日は倕方より本堂に 長・山岡枅倮垫より、願 䞀心に埡題目をお唱えし、   お開䌚匏、そしお倕看経 えば叶う埡経力の玠晎ら 埡指南のずおり䞀心にご 埌は境内地にお倕食のバ しさを、ご自坊の玛倱物 奉公をさせおいただけば、

もず開催されたした。

ありがずうございたす。 矩な䞀倜を過ごしたした。 いう埡教歌を信条に、ご   去る六月二十六日∌二十 二日目は、朝参詣にお 自身の豊富なご奉公経隓   䞃 日、 ﹁ 第 二 回 青 教 決 èµ· 圓 劙 寺 の ご ä¿¡ 者 ず 共 に、 をもずに、熱くお話しく 倧䌚﹂が倧阪・圓劙寺に 参加者䞀同の熱烈な埡題 ださいたした。 お、蚈二十八名の参加の 目の声が堂内に響きわた 入信の時のこころに戻   り、埡法門では青教副䌚 っ お 侀 幎 侉 癟 六 十 五 日、

匘通の原動力は我々の信心に

䜛立教務のこころを孊ぶ

たす。

心よりお芋舞い申しあげ 協力くださいたすよう、

被害を受けられた方々に たいりたす。どうか、ご

お祈りいたしたす。たた、 を敷いお掻動を展開しお

もに、衷心よりご冥犏を 埩興のため、支揎の䜓制

で哀悌の意を衚するずず 灜地の䞀日も早い埩旧・

今般の豪雚により殉難 被灜された方々が安心     された方々に察し、謹ん ず垌望を取り戻され、被

朚村総長からのお芋舞い文

本宗ずいたしたしおは、 本門䜛立宗     本山宥枅寺はじめ各寺院 第二十六䞖講有    においお埡宝前にご祈願 髙須日良

う願っお止みたせん。

な日々を取り戻されるよ

し、謹んで哀悌の意を衚 は、無事安党な堎所を確 りの支揎に努めおたいり するずずもに、心よりご 保され、䞀日も早く平穏 たす。

揎・支揎の掻動に埓事さ この床、西日本豪雚灜 冥犏をお祈りいたしたす。 れる皆様のご芁望にお応   害に殉難された方々に察 たた、被灜された方々に えするべく、でき埗る限

講有䞊人からのお芋舞い文

新シリヌズ 第 161 回

﹃トランクの䞭の日本﹄を特別公開

䞖界遺産登録の囜䌚議事堂で異䟋の開催

本堂䞀杯の婊人郚䌚行事

ッキヌセブンのあるお参

詣、ご奉公に励み、健康

寿呜をのばしたいず思い

たす。ありがずうござい

修。この幎は門祖日隆聖 成に努められ、毎幎倏に 人五癟回埡遠諱の圓幎で 野倖埡講ずしお有銬別院 あり、宗埒二十䞉戞圓 で䞀泊研修をされおいた。

犏岡日雙垫

海倖匘通だより∌ サンマリノ線

束信塟婊人の郚を開催

題に察する苊しみが軜枛

し、少しでも高霢化諞問

米満淑恵先生の講挔を聞く

南倧阪垃 されたらずの思いで開催

去る五月二十九日、第 させおいただきたした。 の準備を心掛けるように たした。 四ノ宮たかよ   宮本 ●本劙寺 二支庁・浄颚寺䜏職・ 講挔では、私たちの目 した。     ●信光寺 ○老老介護の身ですので 西村枅信垫においお、 線でお話いただき、実際   南倧阪垃教区婊人郚䌚行 に介護を経隓されおいる ○矩父の介護の時を思い 講挔はずおも有意矩で参 事ずしお、熊本・長薫寺 ご婊人方が倚数を占めお 出したした。涙が出たし 考になりたした。 埳田朱矎 所属・米満淑恵先生より いたすので﹁気持ちが楜 た。 ﹁いく぀になっおも笑顔 になりたした﹂ず、参加 ○今、父の介護䞭で、た ○介護する偎、される偎 のご奉公﹂ずいうテヌマ 者䞀同に感激されおいた くさん孊べるこずがあり、 の気持ちを持っお笑顔で

本圓に実感ずしお参考に 八幎前に芋送りたした䞻 なりたした。ありがずう 人のものが、ながく片付

ずは蚀わないようにする。 出は心の䞭に﹂ず蚀われ 介護斜蚭も利甚するこず。 たこずが胞にしみたす。

気持ちも楜になったよう 暮らしおいきたす。 で講挔いただき、垃教区 した。 に思いたす。 垂原カり 管内寺院から総勢䞀四六 最 埌 に 元 気 で 長 生 き の   ●劙唱寺 ○米満先生の講挔䌚に参 名の参加をいただき、本 秘蚣ずしお﹁①歩く、②   堂䞀杯の賑やかな婊人郚 食べる、③氎分、④声を ○長幎、介護のお仕事を 加させおいただき、これ 䌚行事ずなりたした。 出す、⑀仲間、⑥他䞖代 されおいる先生のお話は、 からの生き方に倧倉勉匷 ﹁元気で 平均寿呜が八十四歳ず 亀流、⑊圹割﹂の䞃぀が 実感が䌎っおいお、本圓 になりたした。   いわれる日本の珟代瀟䌚、 あり、これらは党おお寺 によく理解でき感心した 長生きラッキヌセブン﹂ さらに少子高霢化問題が 参詣、ご信心に含たれお した。たず、適圓な介護 は特に毎日実行したいず が必芁。あたり䜙蚈なこ 思いたす。そしお﹁思い 拍車をかけ、それに䌎う いるこずなのですよ、ず 介護の諞問題は、私たち 教えおいただきたした。 お互いの身近な問題であ 最埌に圓日の聎講者の   り避けられたせん。 喜びの感想を抜粋しお掲

けられなかったのですが 四ノ宮喜代子 思い切っお片付けようず

ございたす。

○先生のやさしい口調の 思いたす。そしお私のも 䞭に所々、熊本匁が入っ のも子䟛たちに迷惑をか

䜛立宗なんでも新連茉

みはただ、血のにじんだ 特別開催は文化省・歎史 島や長厎の爆 突然、江ノ島の方角より巚倧な 唇をかみしめるその身ぶ 省の絶倧な協力のもず、 心地、圌の心 光り物が出珟し、刑堎の䞊を飛 りの䞭にのみ衚珟されお 䞖界遺産に登録されおい の倉化に぀い び枡るずいう䞍思議な珟象が起 二〇䞀八幎六月二十九 いる囜。カデロ倧䜿はオ するよう指瀺を出したず いる﹂ずいうキャプショ る囜䌚議事堂政庁・プ お、同時に仏 き凊刑堎は倧混乱に陥っおした   日蓮倧士ご降誕八癟幎   翌幎の匘長元幎䞀二六䞀 いたした。聖人は珟蚌のご利益 日より䞃月二十九日たで ダネル氏の写真に感銘を 報道されたした。写真は ン、裏面には法王の眲名 ブリコ宮を䌚堎ずする 教ずいう芖点 サンマリノ共和囜で京郜 受け、京郜䜛立ミュヌゞ 死亡した匟を背負いなが ず﹁戊争が生み出したも 異䟋の開催ずなりたした。 から宗教を超 蚘念シリヌズ その䞉 五月、幕府ぞの反逆の眪ずいう を蒙りご難を遁れられたのです。   名目で聖人は逮捕され、䌊豆の ﹁竜の口のご法難﹂です。 䜛立ミュヌゞアム䞻催﹃ アムに平和のメッセヌゞ ら火葬堎で順番を埅぀䞀 の﹂ずいう蚀葉が添えら これは平和を垌求し保持 えお他者の呜 その埌、聖人は䜐枡が島に流 䌊東に流眪されたす。 ﹁䌊豆䌊   ト ラ ン ク の äž­ の 日 本 ∌ を送っおくださいたした。 人の少幎の姿を捉えたも れおいたした。 に努める同囜の匷い意志 を慈しみ、平 眪ずなり、文氞十䞀幎䞉月たで 日蓮聖人のご法難ずは 東のご流眪﹂です。   戊争、平和、そしお仏教 たた、この際、日本の のでした。第二次䞖界倧 和を垌求する 終戊䞃十幎 特別展瀺 の衚れでもありたす。 二幎埌の匘長䞉幎䞀二六䞉 の足掛け䞉ヵ幎をかの地でお過         ∌﹄展を開催させおいた 倩正遣欧䜿節顕地䌚が私 戊末期、長厎に原子力爆 ﹃トランクの䞭の日本 ∌ 六月二十六日、日本か ずいうメッセ ﹁䜐枡ご  ﹁劙講䞀座﹂の䞭に﹁我等 二月、流眪を赊された聖人は再 ごしになられたした。     だくこずができたした。 たちの展瀺に倧倉共感く 匟が投䞋された盎埌、米 戊争、平和、そしお仏教 ら通長・長束枅最垫ず束 ヌゞに぀いお が為に、本門の肝心、䞊行所䌝 び鎌倉においお匘通掻動を開始 流眪のご法難﹂です。 日蓮聖人はこうした数々の我 の芁法を授䞎せしめ絊わんずお、 されたすが、翌幎の文氞元幎 これは䞉幎前、京郜䜛立 ださり、ロヌマ法王ぞ献 海兵隊の埓軍カメラマン、 ∌﹄ず題した䜛立ミュヌ 本珟薫垫が展瀺写真䞉十 語り、さらに   倧難四か床、小難数をしらずの 䞀二六四の十䞀月、久しぶ が身に降り掛かったご法難を巊 ミュヌゞアムで終戊䞃十 䞊品を送るにあたり、圓 ゞョヌ・オダネル氏が撮 ゞアムの展瀺䌚は、オダ 䞉枚ず仏教パヌト五枚を 最埌のパネル 埡匘通﹂ずありたすが、日蓮聖 りに故郷、安房ぞお戻りになり のように受けずめられたのでし 幎の蚘念展瀺ずしお同䌁 䌁画展のリヌフレット、 圱したものです。たさに ネル氏の日本䞊陞から様 含むパネル玄四十点など では開導聖人 人はどのようなご法難に遭われ たした。その折、聖人は重病に た。 画展を開催した際、 ﹁サ 通長・長束枅最の名刺、 京郜䜛立ミュヌゞアムの 々な日本人たちずの出䌚 を搬入、準備を開始した の玹介や﹁俗 ﹁法華経の埡故 たのでしょうか。 ンマリノ・ニッポンた぀ 手玙、ゞョヌ・オダネル 画さずし草﹂を玹介し、 マンリオ・カデロ倧䜿、 に已前に䌊豆の り﹂実行委員䌚・叀堅裕 氏の写真集﹃トランクの 執政官からも感動の蚀葉 特別展の協賛に加わった 囜に流され候い  日 蓮 聖 人 が 鎌   子氏、駐日サンマリノ共 䞭の日本﹄ 蓑田秀䜜氏䞀般財団法 小孊通を を埗たした。 しも、こう申せ 倉にお入りになっ ば謙ぬ口ず人は お数幎埌の正嘉元 和囜倧䜿マンリオ・カデ 入れおいただきたした。 匕き続き、囜䌚議事堂 人 癟䞇人のクラシック   幎䞀二五䞃頃 おがすべけれど 、そし ロ氏にご協力をいただい それから䞉幎が経過し 前のリベルタ広堎にお開 ラむブ代衚理事   より日本は倧地震、 も、心ばかりは たこずに起因しおいたす。 た本幎元旊、ロヌマ法王 写真展の䞭心、法王ぞの い、広島や長厎の爆心地、 した。二十六日早々から 催を蚘念しテヌプカット お通長・長束枅最垫がハ 台颚、措氎などの 悊び候入っお候 サンマリノ共和囜は、 フランシスコが、長厎原 献䞊品の䞭に入れた写真 圌の心の倉化を远䜓隓し 珟地関係者や䜜業員の献 が行われたした。テヌプ サミを入れ、関係者や䞀   倩灜地倉が続発し、 いき。䞀端はわ おいただくこずを䞻目的 身的な䜜業のもずで二十 カットには文化教育倧臣 般芳芧者ず共に開催を祝 䞖界最叀の共和囜であり 爆投䞋の被害者の姿をず でした。 それにずもなっお びしき様なれど いたした。 ぀づく ながら軍隊を持たず平和 らえた䞀九四五幎の写真 八日には展瀺が完成。サ バチカンが配垃した写 ずしおいたす。 マ ル コ ・ ポ デ ス キ 閣 例 、 生 じ た 飢 饉 、 疫 病 も、法華経の埡   敵ず味方を隔おる境界 ンマリノ共和囜甚に甚意 の倧切さを保持し続けお をカヌドに印刷しお配垃 真には﹁幌い少幎の悲し によっお人々は苊 為なれば嬉しず   に気づくこず、その境界 したパネルは党おむタリ しみ、貧困のどん 思い候﹂ 底にあえいでいたした。 陥っおいた母君、劙蓮尌のため 呵責謗法滅眪鈔・䜛立宗版 が実は劄想や幻想に過ぎ ア語、英語で日本語はあ このような事態、状況を憂い、 に圓病平癒のご祈願助行をされ、 埡遺文集䞉巻䞉二䞉頁 ないこずに気づくこず。 りたせん。   憀りを感じられた日蓮聖人は文 母君の寿呜を四カ幎延ばすずい 開導日扇聖人は日蓮聖人の蒙 オダネル氏の心の倉化は 六月二十九日午前䞭、     応元幎䞀二六〇䞃月、 ﹃立 う珟蚌ご利益を顕されたした。 られたご難を次のように拝せよ 仏教の説く境界の曖昧さ 同囜の執政官倧統領に 正安囜論﹄を著され、正しい仏 安房ご滞圚䞭の十䞀月十䞀日、 ずご教瀺されおいたす。 に盞通じるものがありた 盞圓二名が展瀺開通に 法の教えに背くが故に皮々の灜 聖人は地元のご信者の招きでお ﹁問うお云わく、高祖倧難に   す。敵ず味方の境界、宗 先立ち展瀺を鑑賞し、長 いがもたらされるのであり、た 講に赎かれる途䞭、か぀お聖人 しばしばあわせ絊うはいかに。 教や民族の壁を超えお、 束通長が説明を行いたし ずは為政者が正法に垰䟝し、政 を亡き者にしようずした地元の 答えお云わく、これ高祖の埡願 治の姿勢を正すべきであるず、 地頭東条景信ずその配䞋の者に いなり。法華経の埡為に難にも 平和を垌求する䌁画展で た。通長は、オダネル氏 鎌倉幕府の暩力者、北條時頌に よっお襲撃され、刀傷を負われ あい、身もいのちも法華経ぞ奉 す。 の日本䞊陞から様々な日 これを差し出されたした。 るずいうご難に遭われたした。 りたしず思し召したる埡願い也。 サンマリノ共和囜での 本人たちずの出䌚い、広   同 じ 幎 の 八 月 、 聖 人 は ご 匘 通 ﹁ 東 条小束原のご法難﹂です。 故に韍口の埡くびの座の埡時に   の拠点ずされおいた束葉が谷の 文氞八幎䞀二䞃䞀九月十 のたたわく、日ごろずし頃願い   いう蚀葉に身構えおいた 草庵においお浄土宗の暎埒によ 二日、聖人は諞宗の長老らの讒 しこずこれなり。かかるうれし 気持ちが少し楜になりた っお襲撃されるずいう難に遭 蚀によっお再び逮捕され、凊刑 きこずはあらじず仰せられたる した。元気で長生きのラ わ れ た す 。 ﹁ 束 葉 が è°· の ご 法 難 ﹂ を 思 え 。 ﹂ å Ž で あ る 鎌 倉 竜 の 口 で あ や う く です。 扇党䞉巻䞀六六頁 斬銖の危機に瀕したした。が、

お祖垫さたのご䞀生を孊ぶ

いただきたした。

枅秀寺門末 ﹁日蓮﹂ずいうお名前   の由来、小束原においお 第五支庁・小束川枅秀 襲撃のため眉間に傷を負   寺門末䞃ヵ寺で組織され われ、それが今日のお綿 る教逊講座﹃束信塟婊人 掛けのご奉公に繋がるこ の郚﹄も平成十八幎六月 ずをご教導いただき、り

に第䞀回を開催以来、通 ィットにずんだ話しぶり 算二十二回を数えたす。 に時おり笑いもあり和や

今回は高祖日蓮倧士ご かに孊ぶこずができたし   降誕八癟幎慶讃ご奉公を た。この講話をもずに十 目指し、䞉ヵ幎蚈画を展 月末には千葉県小湊誕生 開させおいただくこずに 寺方面に研修バスハむク なりたした。お祖垫さた に行きたす。 のご䞀生を孊び、ゆかり 来幎は鎌倉、再来幎は   の地を蚪ねる予定です。 身延山ぞ。春にご講話、 玫陜花が日毎色づく五 秋に研修旅行。これらを   月晎れの五月二十九日、 糧に匘通のご奉公に励み 本寺・枅秀寺に四十九名 たす。 が参集、埡䜏職・岡本日 今回の参加者は枅秀寺   苑䞊人ご唱導のもずお看 十九名、劙芁寺六名、信 経。続いお荒朚誠啓垫よ 立寺二名、長犏寺十四名、 り日蓮聖人略埡䞀代埡 信柄寺六名、䜛立寺䞀名、

長犏寺・束本凰子蚘

誕生∌小束原埡法難を 尚立寺䞀名、合蚈四十九 甚意いただいたレゞュメ 名でした。

もずに、幎代順にご講話

そこで玄䞉十幎間、瀟 茉させおいただきたす。   䌚犏祉に携わり﹁瀟䌚犏 ●日乗寺   祉法人 寿量䌚﹂の理事 ○介護の珟堎での䜓隓な   長の米満先生に、専門家 どを亀えた話などでわか ずしおのご意芋をお聞き りやすく良かった。終掻

たお話、そしお介護は公 けないように敎理しよう    的なものを䜿いなさいず ず思いたす。森䞋矎智代

経王寺䜏職・圓時五歳 、 前の護持に努められ、䞭 十䞃幎、信埒の石田熊吉 月、暩倧僧正に叙任。同 喜枩垫圓時二歳のみ 西文子宅ぞ疎開。昭和二 氏が、広島垂東区にある 二十二幎䞃月、䜏職䜍を で、甚心のため日識䞊人 十幎八月十五日の終戊を 敷地䞉五八坪ず埡内陣荘 勇退し、十月には䜏職退

勀務するこずになる。

昭和二十䞃幎、滑川家 石田家䞀統のご有志によ その埌、広隆寺創立五 暩倧僧正日亮䞊人神戞 予科に入孊、東京枅雄寺 お同幎末に神戞䜛立寺に 鉄工所に劎務䞻任ずしお     護持の埡本尊開導聖人 り、昭和䞉十䞃幎十䞀月 十幎を迎え、蚘念事業で

䜛立寺第四䞖 、母た぀ で止宿。予科䞉幎の昭和 垰寺される。

昭和十九幎䞉月、姫路 お筆止めの金䞞埡本尊 に朚造瓊葺二階建おの本 ある寺院の増改築ご奉公 女の次男ずしお、神戞垂 十䞉幎、健康を害しお䞀 倪平掋戊争により、喜     䞭の平成二十五幎五月二 荒田町にお出生、博ず呜 時䌑孊し、神戞に戻り䜛 奥垫神戞䜛立寺第五䞖 連隊に招集されるが、病 を譲枡され、日識䞊人が 堂を竣工。

広隆寺の初代䜏職ずしおご奉公

野球はタむガヌスファン 加藀日識䞊人の巻

䞊人を奉修導垫に、参詣 日識䞊人は神戞䜛立寺   者六〇〇名で開筵匏を厳 所属時代には薫化䌚の育

気の為、即日召集は解陀 お䟛をしお䜛立寺の本堂 翌䞉十八幎四月二十八 十四日、法寿九十四歳を 名される。しかし、倧正 立 寺 で ご 奉 公 に 努 め な が æš© 倧 僧 æ­£ 日 類 侊 人  は 北   日、暩倧僧正・竹内日暢 以お埡遷化される。

十䞀幎二月五日、母た぀ ら逊生される。

れず、食料事情等により

が垰寂し、以埌は音枝姉 昭和十六幎に埩孊され   生母ず埓姉効に逊育 るも、その埌も健康は勝

される。

昭和十䞀幎䞉月、灘䞭 通孊に䟿利な䞋宿先から   孊を卒業。十六歳で日亮 の通孊ずなる。同十八幎 支にお負傷し入院䞭であ される。同二十幎䞉月十 にご奉安された。

その埌、有銬別院、淡 初は宗埒五戞より始たる たた、広隆寺では石田 䞊人を垫僧に神戞䜛立寺 九月䞀日、文孊郚瀟䌚孊 り、埓兄の珟尚垫倧阪 䞉日、倧阪倧空襲により   経王寺第䞉䞖日康䞊人 、 垂岡芪䌚堎は焌倱。家族 路島掲本でご奉公されな が所属する広隆寺ず寺号 晎行さんの話による薫 り、薫化䌚の子䟛達を野

珟聰垫倧阪本門寺第䞉 は尟匵䞀宮に疎開、日識 がら、䜛立寺信埒が居䜏 公称しお、日識䞊人が初 化䌚埡講で手品をされた 䞖日葉䞊人共に招集さ 䞊人は神戞に戻られる。 する犏山、鞆、尟道、䞉 代䜏職に就任された。

朚村総長からも

開通に先立ち執政官ず関係者による蚘念撮圱

には叔父の珟智垫倧阪 を残し内郚は焌倱。喜奥 信者の面倒を芋お欲しい 二月十九日には埡内宀・ むガヌスファンのため、

倧朚が抌し流されおきお 

笑顔で講挔の米満先生

経王寺第二䞖・暩倧僧正 垫は譊備招集のため䞍圚 ず申し出があり、広島で 則子様ずご結婚。同六十 広島カヌプファンの子䟛

䜛立青幎教務䌚の掻動を報告したす 青 教

ロヌマ法王の指瀺を䌝える月日付 の朝日新聞朝刊

暩倧僧正日識䞊人は、 で埗床、僧名を喜蚌ずい 科を繰り䞊げ卒業。その が止䜏するこずになり、 迎えるず、埩興のご奉公 厳費をご有志され、建営 任䞊びに䜏職圚䜍二十五   費は他のご信者の坂本家、 幎の耒賞を授䞎される。 倧正九幎䞉月四日、厳父 ただく。同幎、立正倧孊 埌、しばらく通院治療し 昌は海軍監督工堎の仲本 に尜力される。

∌そのご奉公を孊ぶ∌

各地で教逊各䌚の行事 盛倧に開催

日枩䞊人ず寊子日識 であったが、日識䞊人は ご奉公されるこずになる。 䞀幎に法臘五十幎随喜状 達は、䜕時も阪神偎での

講有䞊人からのお芋舞い 第回青教決起倧䌚を圓劙寺で開催 28名が参加

豪雚灜害に察する

矜ばたけ

2支

テヌプカット匏巊から蓑田秀䜜氏、マ ンリオ・カデロ倧䜿、マルコ・ポデスキ 文化教育倧臣、長束枅最通長

「もしもし、聞こえたすか」様々なグッズも玹介

5支

暩倧僧正列 䌝

本堂䞀杯の参詣ずなった婊人郚䌚の行事

道路も寞断されひどい状況 ご奉公成就の祈願口唱に励む

婊人䌚・青幎䌚・薫化䌚・壮幎䌚 å©Š 人 人䌚 䌚 青 青幎 青幎䌚 幎 䌚 薫化 幎䌚 薫化 化䌚 䌚 壮 壮幎䌚 幎䌚 幎䌚

しかし、䞉月十䞃日の 原ぞ泊たりがけのご奉公 日識䞊人は、昭和四十 球芳戊に連れお行ったり れお入隊。     第八事劙支郚・垂岡芪 神戞倧空襲により、䜛立 を続けられる䞭、それな 八幎、第九支庁の支庁長 されたこずもあるずいう。   䌚堎埌の倧阪経王寺 寺は本堂䞀、二階の倖郭 らば足をのばしお広島の に就任。昭和五十䞀幎十 因みに日識䞊人は阪神タ

暩倧僧正・加藀日識䞊人

広島広隆寺は、昭和䞉 を拝受され、平成九幎十 芳戊であったそうである。 䞊人の姉ず淳真垫珟 䞍惜身呜のご奉公で埡宝

圓劙寺本堂で蚘念撮圱円内右は山岡枅倮垫、巊は䞊枩湯淳立垫

荒朚誠啓垫より日蓮聖人略埡䞀代を講話いただく

面・面にも行事報告を掲茉しおいたす 面 面 面 面にも 面にも も行事報 も行 行事報告を 報告を掲 を掲茉し 掲茉し しおいた しおい いたす たす

平成 30 幎月日 氎曜日   毎月 1 回 1 日発行 4

聞 新 立 䜛 第 7 0 4 号    昭和 41 幎 6 月 17 日第䞉皮郵䟿物認可

平成 30 幎月日 氎曜日   毎月 1 回 1 日発行

聞 新 立 䜛   5    第 7 0 4 号    昭和 41 幎 6 月 17 日第䞉皮郵䟿物認可


匘通促進倧䌚を開催 犏岡日雙垫に講挔いただく

だき、衚地状ず蚘念品が なりたした。 っおいるのではないか されたした。

授䞎されたした。教化の 犏岡埡導垫からご講挔 ずの問いかけがありたし これからも東京䞭倮垃     衚地では﹁䞀幎に十戞以 冒頭に、日扇聖人がご開 た。ご講挔を通じお、䜛 教区管内寺院、異䜓同心 䞊の教化成就者﹂の衚地 講されおから癟六十幎䜙 立信者ずしお圓宗の有難 で高祖ご降誕八癟幎慶讃

子どもお䌚匏を無事に奉修

り鮮やかな玙芝居を䜜る

事ができ﹁第六回青少幎

の䞀座﹂でのご披露が楜

しみずの声が参加者から

の䞀座﹂でご披露される 䌁画ずなりたした。

支庁䞻催﹁第六回青少幎 聞かれ、ずおも有意矩な

青少幎の䞀座での玙芝居䜜成

埌玉垃 6支

癟幎慶讃ご奉公の初幎床 に包たれたした。

第䞀郚は、開催寺院の られ、䌚堎は驚きず賞賛 も匘通幎床埌半に入った   この時期に、倧䌚を通じ 劙泉寺埡䜏職・柎田日賢 に包たれたした。

その埌、神戞・銙颚寺 お改めお匘通意欲を高め、 垫にお看経を埡唱導いた   垃教区異䜓同心でご匘通 だき、たた本幎床のこれ の犏岡日雙垫より﹁䜛立

ご自分の䜓隓談や海倖で

の詳现が飛び亀い、積極

垞䜏寺においお青幎䌚が アごずの開催ずなっおい の䞋、青幎䌚の亀流が掻 ハりを䌝えるべく資料を 通しお各垃教区の青幎䌚 たした。掻動が盛んな遠 おディスカッションを蚈

再発足されたした。その たす。これは䞀座奉修を 発に行われるようになり 䜜成したり、埡講に合せ 様子を報告したす。

いきたした。 した。

お、顕劙寺門祖䌚ず䜵修 の芪埡さんは門祖䌚埌段 今回の参詣人数は、お   し埌玉垃教区薫化䌚﹁子 にお参詣させおいただき、 教務方二垫、薫化䌚十九

どもお䌚匏﹂を、埡䜏職 薫化䌚䞻事・滝山顕廣垫 名、䞀般二十䞃名、総合

暪田日顕垫ご唱導のもず、 より﹁第六回青少幎の䞀 蚈四十八名でした。

晎倩のお蚈らいをいただ 座﹂参加ぞの将匕の埌、垃教区薫化䌚䞻事・ 䜐藀掋蚘

聞させおいた

き厳修させおいただきた 奉修埡導垫の埡法門を聎

した。

埡宝前にお奉修埡導垫 だきたした。   お䌚匏終了 より、子どもお䌚匏の蚀   䞊をいただき、子䟛たち 埌、顕劙寺信

のお看経が本堂内に響き 埒手䜜りのご

枡りたした。たた今回の 䟛逊を矎味し

子䟛お䌚匏では、奉修埡 くいただいた

導垫のお絊仕係を薫化䌚 埌、午前の続

員がご奉公させおいただ きで再び玙芝

き、埡宝前に向かう真剣 居の䜜成を行

な県差しに、䞀同、心か い、各自が思

玙を䜿い、よ

ら随喜させおいただきた い思いの折り した。 前段のお看経の埌、奉   修埡導垫の埡法門では、 無い時では、盞手の心は

﹁ありがずうのある時ず 倧違い。お瀌をしっかり たた、ありがずうず蚀っ

蚀える人になりたしょう。 おもらえる人になりたし

䌚掻動の楜し 先茩方の教えを次䞖代に 莈られ、歓談は倧倉な盛 埡法門終了埌、薫化䌚   さ、ご奉公の 受け継ぐこずを誓う、若 り䞊がりを芋せたした。 䌚員は䌚議宀に移動し、 発足埌、䞃月䞀日には 本幎倏に奉修される第六 喜びを感じお さに溢れた力匷いもので   垞䜏寺青幎䌚の初埡講が

姿を目の圓た よる誓いの蚀葉が述べら の蚀葉ず、これからの掻 りやすい蚀葉でお教えい りにし、青幎 れたした。垞䜏寺の先垫 動を励たす枩かな蚀葉が ただきたした。

青幎䌚長から力匷く誓いの蚀葉が述べられた

けおご奉公に励んできた 幎䌚の掻性化を呌び、こ 動報告をさせおいただき

ここに至るには垃教区 青幎たちの信心がありた の床の垞䜏寺青幎䌚発足 たす。 足匏が執り行 ずのお蚀葉をかけられた

お青幎䌚の発 立菩薩を目指しおほしい たした。

ご䜏職は埡法門で、青 盛倧に奉修され、他垃教 青幎䌚の埌抌しも然るこ す。時を合わせるように の運びずなったのでした。 そしお六月     以䞊、第六回青少幎の 䞉日、垞䜏寺 幎䌚ずしお困っおいる人 区からの応揎も合せ四十 ずながら、長幎に亘るご 動きだした青少幎の䞀座   開導䌚におい に手を差し䌞べられる䜛 名を超えるお参詣があり 䜏職の教導ず、薫陶を受 ゚リア開催が、垃教区青 䞀座に向け、垃教区の掻

完成した玙芝居を持っお蚘念撮圱円内は埡法門される暪田日顕垫 玙芝居の䜜成䞭「ここはどんな色にしようかな」

たでの匘通成瞟を埡 宗はここが有難い ∌こ   宝前に奉告蚀䞊しお こが違う䜛立宗ず他教団

垞䜏寺の青幎䌚が再発足 です。

この宗門の方針を受け、 的な亀流が行われるよう   第六回青少幎の䞀座の 少幎の䞀座は今たでずは 東京䞭倮垃教区では垃教 になっおいきたした。䞡   ご奉公の䞭で、第五支庁 圢態を倧きく倉え、゚リ 区長高野枅玔垫指瀺 寺院の青幎䌚は掻動ノり

青少幎の䞀座ご奉公の䞭で

は党囜の青幎䌚が力を぀ 垃教区青幎䌚の   けるこずが狙いのご奉公 では、埡講日皋や参詣

東京䞭倮垃教区から届けられた掻発な掻動報告

の衚地をさせおいた 䞋さり、䌚堎は倧盛況ず

第二郚では昚幎床 のご利益談を螏たえ、ナ   の匘通成瞟優秀者ぞ ヌモアたっぷりにお話し

た。

の意識が高たりたし 矩的な違い等だけでなく、

新たにしおご匘通ぞ 団を、埡本尊の違いや教

加者䞀同、気持ちを 臎したした。圓宗ず他教

いただきたした。参 ∌﹂ず題しお講挔を頂戎

ナヌモアたっぷりに話される犏岡日雙垫

ご承知の通り第六回青 掻動が掻性化し、ひいお 劙寺ず劙泉寺が䞭心ずな 画し、青幎䌚発足を促し

り、䞡寺院の埡講を䞭心 たす。 ょう。そしお倧事な事は に管内寺院の青少幎を将 この垃教区の動きに垞 うれしい事があった時は、   匕、ご奉公の堎を共有す 䜏寺の青幎たちは積極的 埡宝前に埡題目をお唱え るずいう内容です。 に参加。亀流を重ねる䞭 われたのです。匏兞では した。 しお、お祖垫さたにお瀌 匏兞埌のご䟛逊垭では を申し䞊げたしょう﹂ず で同䞖代が集 六名の䌚員がご䜏職より   い励たしあう 蟞什を䞋附され、䌚長に 垃教区青幎䌚からお祝い 薫化䌚の子䟛達に、わか 月日の開導䌚で執り行われた青幎䌚発足匏での蚘念撮圱

圓日は月に開催される青少幎の䞀座のご披露もあった

月日の初埡講には40名を超える参詣があった

昚幎床の匘通成瞟優秀者ぞ高野枅玔垃教区長より衚地

高祖のご生涯を描いた玙 蒲田・劙泉寺にお開催さ 者は教講合わせ二癟八十 たた、助行郚門では助行 なる䞀方、このご信心の 他の人にもお䌝えしなく く所存です。 䌁画終了埌、本堂にお   垃教区広報郚 去る五月六日午前十䞀 芝居の䜜成切り絵を 蚘念撮圱・埡瀌挚拶の埌、 れたした。高祖ご降誕八 八名を数え、䌚堎は熱気 幎六十回を遥かに䞊回る 有難さが分かりにくくな おはならないず匷く思わ   䞉〇〇回以䞊達成者がお 時より、熊谷・顕劙寺に 臎したした。たた、匕率 解散ずなりたした。

去る六月十日、東京䞭 ご奉公に励たせおいただ を、䞉幎連続でさせおい の歳月が経ち、䜕代目の さ、他教団には真䌌でき ご奉公を掚進し、ご匘通   倮垃教区匘通促進倧䌚が、 くこずが目的です。参加 ただくこずができたした。 信者ず名乗るこずが倚く ない匷さを、はっきりず 発展に寄䞎させおいただ

平成 30 幎月日 氎曜日   毎月 1 回 1 日発行  6

聞 新 立 䜛 第    号    昭和 41 幎 6 月 17 日第䞉皮郵䟿物認可


た。䜕で䞖界䞭がこんなに

私も芳戊するようになりたし

流石に芋事なもので、私も俄

球を蹎りこむスヌパヌ矎技は

匄しながらゎヌルを目指しお

や盞手チヌムの遞手たちを翻

がセネガルよりも少なかった

第二戊たでの环積譊告数の差

西 野 朗 監 督 の è‹Š æž‹ の 䜜 戊 で、

教 こ れ は、 䜕 ず か 匷 の     二次リヌグに進みたいずいう

ょう。

回り、ゎヌルに球を蹎りこむ。

ボヌルを取り合いながら走り

﹁倧の男たちがグラりンドを

メディアからも厳しい批刀の

いブヌむングが起こり、海倖

戊法には䌚堎の芳客から激し

切れに持ち蟌みたした。この

陣でパスを回しはじめ、時間

日本チヌムは詊合終了たで自

手の遞手育成でさらなる進化

た。善戊した日本チヌムは若

点差で惜敗しお終わりたし

日本の 杯は匷豪ベルギヌに

解したようですね。ずにかく

もあるずいうこずで倧方は理

教 決勝トヌナメントに進     むためには、こうした戊い方

http://www.hiratashoueidou.com E-mail butsuryu@hiratashoueidou.com

のビアホヌルで行いたし おいるのだずいう気持ち に開催される四囜垃教区 繋がればず願いたした。 その埌、昌食埡䟛逊を た。壮幎䌚の楜しみでも で聎聞しなければず思い 青少幎の䞀座に向けおの   ﹁ 将 匕 の 手 箙 を 曞 こ う ﹂ いただき、閉䌚匏、蚘念 ある懇芪䌚は各自亀流を たした。

寺ならびに同垂内の別子 人の名刺ず垃教区特補名 くのマむントピア別子で 二日目は枅扇寺に朝参 具沢山の愛情のこもった いに意芋亀換しながら仕 各寺院の圹員の方、婊人   ハむツ孊習通にお、四囜 刺入れが莈呈されたした。 鉱山芳光を楜しみたした。 詣させおいただき、埡䜏 朝食を矎味しくいただき 䞊げたした。それぞれ、 䌚の方、壮幎䌚の皆様の

続いお、岩本日雪垫よ 本圓に䜿っおいた鉱山鉄 職・藀本日唱垫より埡法 たした。 朝食埌は、遠路 ずおも情のある思いの蟌 お陰です。ありがずうご 垃教区第二十䞀回壮幎䌚   合掌 研修䌚が行われたした。 り講習をいただき、今回 道に乗車し江戞時代の別 門を聎聞させおいただき はるばる特別参加された もった手玙を披露しおく ざいたした。

圓日は梅雚入りしおいた のテヌマである﹁教化の 子銅山にタむムスリップ たした。自分の身に眮き 東北南郚垃教区・石巻耀 ださいたした。皆の思い 垃教区壮幎䌚

違っおくるずいう内容で、 今をご披露いただきたし

連絡協議䌚䌚長・ ため倩候を心配しおいた 喜びを拡げる﹂実践に぀ し、リアルに圓時の生掻 換えお埡法門を聎聞する 護寺の壮幎䌚長・豊嶋功 が盞手に䌝わっお青少幎 ﹁皆さ から近代の䜜業内容たで ずしないずではご利益が 叞郎氏から倧震灜埩興の 䞀座の将匕なり教化ぞず   顕本寺・朚戞岡巧蚘 したが二日間共に晎倩の いお孊びたした。

しい予想が囁かれおいたした

杯に熱䞭するのか、段々ず分

ファンになりたしたよ。

うな展開で、普通なら䜕ずか

ä¿¡ ぀たり日本はフェアプ     レヌポむントの差で 匷入り

たのですが、残念ながら最埌

こんな単玔なゲヌムの䜕が楜

をずげ、次回四幎埌の倧䌚で

枅扇寺の本堂で埡䜏職の藀本日唱垫を囲み蚘念撮圱

お蚈らいをいただき、䞉 んは教化のために、どの 孊習できたした。

その埌ホテルに移動し 確かに人ごずのように聎 た。 十二人の参加者ずなりた ような掻動をなされおい   二日 目 午 前の講 習 は、 たすか﹂の問いかけに、 お、しばし䌑憩の埌、倕 聞しないで玠盎に、垞に した。   䞀日目は別子ハむツ孊 教化掻動で各自が胞を匵 食懇芪䌚をホテルの近く 自分のためにおっしゃっ 䞃月二十八日・二十九日   習通にお、午前十時䞉十 っおできる話を披露しお 分に担圓䞻事・岩本日雪 いるずころで終了。昌食 垫の唱導のもず開䌚匏が ずなり、別子ハむツ孊習 始たりたした。お看経の 通の職員の方に準備しお あず各代衚挚拶の他、衚 いただいたカレヌラむス

地匏が行われたした。今 をいただきたした。

昌食埌は、四぀の班に 回の研修䌚は幎初の案内   募集時より﹁教化を成就 分かれお枅扇寺ご信者の

しお新居浜ぞ行こう﹂を お宅にお助行に出向きた

合蚀葉に、研修䌚圓日た した。ご信者宅でのお助 での教化成就者増加を促 行埌は各寺院の教化状況

が、実際は䞀勝察コロンビ

かっおきたした。芳戊しだす

進したしたが、四名が芋 の意芋亀換を亀わしたし

ア䞀敗察ポヌランド䞀

ず、なるほど面癜くお、い぀

偏芋持っおいたサッカヌ

勝ずうず党力で戊うずころを

に 点 取 ら れ お 二 次 リ ヌ グ 敗

しいのか。面癜くも䜕ずもな

声が䞊がりたした。日本のフ

は 、 匷 入 り 、 い や 優 勝 を 目

したわけですね。

ä¿¡ 私は、もずもずサッカ     ヌには関心がなく、 杯が始

い ﹂ ず 思 っ お い た ん で す が、

ァンたちも䜕かモダモダした

ヌ に 偏 芋 を 持 っ お い た し た。

たっおも興味を感じるこずが

今回の 杯を芳おいお䞖界の

退がきたりたした。

なかったのですが、私も付和

ものを感じたようです。

指しおもらいたいですね。

䞀流の遞手たちの汗を吹き出

匷入りで苊枋の䜜戊を

雷同型ずいうのか、連日テレ

させながらの迫力ある走る姿

ビも新聞も倧隒ぎをするので

かも﹂ず日本䞭が期埅をし

から、敗退しおも䞀次リヌグ

匕 き 分 け 察 セ ネ ガ ル  で、 に入り、ベ

芋事䞀次リヌグを突砎。二次 リヌグのベスト

教 私も同じです。サッカ

るようになっおいたした。

を突砎できるず考えたのでし

各寺院の教化状況の意芋亀換も掻発に

ä¿¡ ただ、第䞉戊の察ポヌ のたにか日本チヌムを応揎す     ラ ン ド 戊 で は ïž±  で è²  け そ

枅扇寺ご信者をお助行させおいただいた

若手の遞手育おさらなる進化で次倧䌚ぞ

を 展 開 し お、﹁ あ わ や、 勝 ぀

ルギヌず察戊し、互角の戊い

ス ト に 進 む べ く 四 戊 目 の ベ

16

事成就しおの参加ずなり た。

芋事に䞀次リヌグを突砎   信者さん 去る六月十四日     に 開 幕 し た 第 回 サ ッ カ ヌ・ ワヌルドカップ 杯ロシ

ア倧䌚も、いよいよ終盀を迎

えおいたすが、今日䞃月五

日は倧䌚開始以来四詊合を

戊っお善戊した日本チヌムが

垰囜したした。

本玙嘱蚗

京郜垂䞊京区䞀条通埡前通東入西町15 電話075461−5433 代 FAX075461−9104

第 回壮幎䌚研修䌚を行う 名が参加しお

32

深め、ご奉公の情報亀換 寺内枅掃の埌、婊人䌚 で す。 各 自、 å­« や 子 䟛、 写真ずなりたした。今回   その埌、別子ハむツ孊 など掻発に盛りあがっお の方々に準備しおいただ 宗倖の知人ずいった身近 の研修䌚を無事行うこず 六月二日∌䞉日の二日 たした。衚地匏では随喜     間にわたり新居浜・枅扇 状ずあわせお、成就者各 習通に集合しお、すぐ近 いたした。 いた朝食を頂戎したした。 な方に宛おた手玙を、互 ができたのも埡導垫方、

日間にわたり

21

21

教務さん 開幕前の䞋銬評     では、日本は﹁䞉連敗で䞀次

16

16

解説・朝 倉 日 励

杯で日本善戊

「教化を成就しお新居浜ぞ行こう」を合蚀 葉に、芋事お教化を成就しお岩本日雪垫よ り衚地状をいただく

フリヌダむダル

支 四囜垃

リヌグで敗退﹂などずいう厳

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0120-111-753

平成 30 幎月日 氎曜日   毎月 1 回 1 日発行

聞 新 立 䜛   7    第    号    昭和 41 幎 6 月 17 日第䞉皮郵䟿物認可


もず

じっ

そう

られたん だね。そ の 人 が、

も特にす

回

垫さた高祖日蓮倧士が䞉十六歳の時   お祖 の正嘉元 幎䞀二五䞃 。鎌 倉に頻 繁しきり ぐれた六

第 埌の六老

におこるに倩倉地異地震や倧雚など、自然 人の僧䟶

僧お匟

がもたらす灜害が起こり、倚くの人々が苊し の䞀人で

源﹂ず名前をいただかれたんだよ。

法印も埌にお祖垫さたのお匟子ずなり﹁日

興䞊人﹂なんだ。たた、孊頭であった智海

子の䞭で

められたんだ。お祖垫さたは、その倩倉地異の ある﹁日

回は、 ﹁岩本実盞寺﹂のお話をするね。

原因を芋぀け出そうず駿河囜静岡県ぞ。今

じ

岩 本 実 盾 寺 で ﹁ 侀 切 経 ﹂ を 閲 芧 曞 物 な   どを調べたり読んだりするこずされたお

浅沌 序説

取材でいただいた有難いお蚈らい

本誌線集員

䞉月二十八日 お蚱しをいただいた。そ に戻った。   圓面䞊欄のお祖垫さ お話を䌺うず、この時 の䞊、経蔵の䞭たで案内  をお蚪ねする物語に 期  は朝䞃時頃からもう枋 しお䞋さった。 た

掲茉する写真を撮りに車 滞が始たるず聞き驚いた。 この岩本実盞寺の経蔵  䞀切経蔵の䞭は普段 四月二十日 で山梚県の身延山に向か ïžµ   再床、身延山ぞ。この は入るこずができない。 った。

は前回のような倧枋滞 たた写真撮圱も犁止であ 䜕の䞋調べもなく出掛 日  るず﹁身延山久遠寺﹂ はなくスムヌズに車を走 るが内郚たで拝芋させお け

は桜の名所ずのこずで、 らせ、先日お䞖話になっ いただき、撮圱させおい

囜道五十二号線を右に折 た枅氎屋さんに埡瀌にお ただけたのだ。

れ久遠寺総門ぞ、そこか 邪魔しご挚拶埌、䞊の久 ご䜏職に枅氎屋さんの  をするず﹁そうです らの参道は倧枋滞。普段 遠寺駐車堎に車を駐め斜 話

なら五分䜍の道皋が、䞀 行゚レベヌタヌで境内地 りチの檀家です﹂ず笑顔

時間経っおも数珠繋ぎの に到着。山頂の﹁思芪閣﹂ で教えおいただいた。

寺・小束浄慎貫銖のご厚

〒604-0847 京郜垂䞭京区烏䞞通二条䞋ル秋野々町518番地

状態。䞊の駐車堎が満杯 ぞはロヌプりェむで登り、 この床は枅氎屋・矢野  倫劻ずのご瞁で、実盞 で出る車がないず進たな 最高のお倩気でずおも良 ご

株匏䌚瀟 写真化孊

いずいう混雑振りであっ い写真が撮れた。

喜んで承りたす。

祖垫さたは、鎌倉に戻られたんだ。 そしお、文応 元幎䞀二六〇䞃月十六  、お祖垫さたは倩倉地異が䜕 床も起こ 日

ビデオ・ホヌムペヌゞ制䜜たで。

いわ

お 祖 åž« さ た は、 ﹁ 昔 か ら 仏 教 の 匘 た っ   おいる囜は、平 和で、その囜に䜏 む人々は

京郜  倧阪  東京  名叀屋

垰りにたた枅氎屋さん 意に預かるこずもでき、 た。  立ち寄り、今から富士 たた経蔵写真の掲茉䜛 車内でホトホト困り果 に  おいるず亀通敎理をさ の岩本実盞寺に写真を撮 立新聞にの蚱可もいた お

れおいた女性に声を掛け りに行くずお話するず、 だくこずができた。

URL.http://www.shashin-kagaku.co.jp

るのは日本の囜に間違った信仰が匘たっお い る か ら で す 。 こ の た た で は 囜 は 乱れ、よ

ら れ た。 ﹁ 今、 æž… æ°Ž 屋 さ ご䜏職は赎任されたばか これはたさしく、お祖  さたの﹁ご降誕八癟幎 んの駐車堎から䞀台出た りで、しかも枅氎屋さん åž«

以倖の䜕ものでもない。

どういうわけかご瞁が お祖垫さたの埡埳ず、䜛

れ桜の苗朚﹂たでいただ 材ずなった。

れ桜が出迎えおくれた。 䜏職にお取り次ぎ䞋さり、

ではあったが矎しい枝垂 で取材の話をするず、ご

境内地にはただ䞃分咲き 地に若い僧がおられたの

で本堂正面に蟿り着くず、 寺に到着。ちょうど境内

身延山から䞀時間皋で いお二八䞃段の菩提梯を  岡県富士垂の岩本実盞 迂回し、やっずのおもい 静

山門脇の駐車堎から歩 いた。

ずができた。

ようやく車から降りるこ ただき、垰りには﹁枝垂 実感させおいただけた取

り本圓に芪切にしおい 立宗の有難さを぀くづく ざ声を掛けおいただき、 あ

から有難いこずにわざわ

ず。䜕十台ず続く車の䞭 ずのこず。

からそこに入りなさい﹂ はそのご䜏職の檀家さん 慶讃ご奉公﹂のお蚈らい

その囜が攻めおきお、囜が滅んでしたいたす。 今 す ぐ 日 本 の 囜 å…š 䜓 で﹁ 埡 題 目 の ご ä¿¡ 心 ﹂ をさせおいただきたしょうず曞かれた を、鎌倉 曞き物有名な立 æ­£ 安囜論 幕府の暩 力 者の北 条 時頌に差し出された んだよ。 お祖垫さたが﹁䞀切経﹂を閲芧され、二  の新たなお匟子が誕生するキッカケずな 人 ったこの﹁岩本実盞寺﹂は、十四䞖玀の始 めに倩台宗のお寺から日蓮宗のお寺に改 å®—ïžµ 今 た で ä¿¡ じ お い た 宗 教 や 宗 掟 を 捚 お お 他の信仰に入るこずされたんだよ。

本堂、祖垫堂 などを写真に 収めおいるず 身延山頂䞊の

倕暮れずなり、 ﹁思芪閣﹂の 撮圱は断念し

TEL.075-254-7724代衚 FAX.075-251-0232

安穏心が萜ち着き穏やかであるずい われおいるのに、なぜ日本の囜はこんなに

﹃倩倉地異﹄が起こり人々を苊しめるのか ﹂ず倧倉疑問に思われおいたんだ。 そこで、なぜ﹁倩倉地異﹂が頻繁に起こ   か を 調 べ る た め に、﹁ 侀 切 経 仏 様 の す る べおの教えを集めたもの・仏教の癟科事兞 のようなもの ﹂のある駿河囜の岩本実盞 うにこの岩本実盞寺には、沢山の僧䟶がや

寺 ず い う 倩 台 宗 の お 寺 に、 お 匟 子 の 吉 祥 麿日朗 侊 人ず向かわれたんだよ。

この頃、岩本実盞寺で孊頭孊校長を   しおいた智海法印倩台宗の僧䟶ずいう

っお来お勉匷に励んでいたんだよ。

ったんだ。そのうちの䞀郚を岩本実盞寺が

人 は お 祖 åž« さ た が 、 比 叡 å±± の 暪 川 å¹³ 成 侉

昔、 円 珍 智 蚌 倧 åž«  ず い う 僧 䟶 が 唐  䞭 囜  か ら、 二 郚 の﹁ 侀 切 経 ﹂ を 持 ち åž° 護持倧切に守っお持぀しおいたんだね。

十幎二月号を読んでねで孊んでいた時の å­Š 友 同 じ å­Š æ ¡ で 侀 緒 に å­Š ん だ 友 だ ち  だ ったんだ。 仏様の﹁䞀切経﹂があったこずや、孊友  いたこずから、お祖垫さたは、この岩本 が 実盞寺にやっお来られたんだね。

た。垰り道に 西谷に寄り ず﹁ 埡 廟 所 ﹂

﹁埡草庵跡﹂ をカメラに収

デザむン印刷から

800幎慶讃

岩 本実 盞寺 経堂にこもっお䞀切経を読たれるお祖垫さた

岩本実盞寺にいる間、お祖垫さたは、倚   の 僧 䟶 た ち に 勉 匷 を 教 え お い る ん だ よ。 く その時の僧䟶の䞀人が、お祖垫さたの孊埳 ïžµ 勉 匷 が で き、 æ­£ し い 行 い が で き る  を 慕

め枅氎屋さん

パンフレット・機関玙・寺史・瀟史の



い あ こ が れ る・ ひ か れ る  、お匟子にな

お䞖話になった枅氎屋の矢野孝叞・加代子ご倫劻

高祖日蓮倧士ご降誕 だ か ら 、 圓 時 の 比 叡 å±± ïžµ 滋 賀 県・ 仏 様 の   教 え を 勉匷 す る に は 侀 番 の å­Š æ ¡  ず 同 じ よ

岩本実盞寺の䞀切経蔵

䞀切経蔵の内郚

日朗䞊人の「米ずぎ井戞」 岩本実盞寺には、お匟子の吉祥麿日朗䞊人も䞀 緒であったが、さすが「絊仕第䞀」のお匟子だけに、 境内地には、お祖垫さたにお絊仕した吉祥麿が䜿っ たず䌝えられおいる「米ずぎ井戞」がある

平成 30 幎月日 氎曜日   毎月 1 回 1 日発行  8

聞 新 立 䜛 第    号    昭和 41 幎 6 月 17 日第䞉皮郵䟿物認可


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