Hbs 06 2018

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京都市上京区御前通一条上る 東竪町110番地(〒602-8377)

「5ヵ年誓願達成寺院に伺う」 } 権大僧正列伝 佐々木日調上人

本門佛立宗宗務本庁 海外弘通便り 韓国編

生への強制ワ

による女子高

させていただかねばと意 ひばりの大ヒット曲﹃愛

が率先してお寺にお参り ズが浮かんできた。美空

ました。これからは自分 いものですね﹂のフレー

ていただき、随喜いたし 古いが﹁人は哀しい哀し

と大変貴重な体験をさせ イセツ事件を聞き、少し

ー・山口達也

﹁TOKI   O﹂のメンバ

ったのですが、振り返る

去る五月五日、六日の 後三時から催しがスター さらにオープニングでは たおりがみを貼り合わせ 課題であると考えさせら がんばりました﹂と話し   両日にわたって﹁お寺っ ト。佛立第二十六世講有 和楽器集団﹁東﹂の和太 てつくられた大パネルを れました。 てくれました。 しかしながら﹁青少年 ていいじゃない ∼い 日良上人に法要をご親修 鼓と笛による活気ある演 お披露目しました。誕生 平間さんは﹁委員長と       のりを声に∼﹂と題し、 いただき﹁玉なれどみが 奏をいただき、本山全体 寺所属コーラスグループ の一座﹂として三十代以 いう大役の不安が大きか 第一支庁主催﹁第六回 ゝぬときはものならず が一気にお祭りムードと ﹁蓮合唱団﹂と参加者に 下の青年たちが考えた企     よる﹁花は咲く﹂の大合 画を、四十代以上の壮年 青少年の一座﹂を開催い 人学ばねば牛も同前﹂の な りました。 たしました。今までは全 御教歌で御法門を聴聞さ また、お寺でのイベン 唱が感動を誘いました。 会・婦人会の方々が快く   国規模で行われていた青 せていただきました。 トに参加していると感じ 最後に委員長がやぐらの お手伝い下さったことに 少年の一座でしたが、今 そして午後六時から八 ていただくため、納骨堂 上からお菓子をまいて全 心から随喜させていただ   ﹁青少年のこ 回は本庁の方針で支庁ご 時まで二組のアーティス 前では﹁ご先祖さまにご プログラムを終了いたし きました。

と﹂を﹁青少年だけ﹂に 識を高めるきっかけとな 燦燦﹄の一節だ▼作詞の

任せるのではなく、自分 りました。みなさんに支 ニュアンスとは程遠いも

たちも一緒に考え、ご奉 えていただいてご奉公が のであろうが、人の持つ

公させていただきますと 成就し、心から感謝して 煩悩が、理性を超え悪行

を縁に▼開導聖人は御教

したが、今回の一座の目 いう姿勢に、佛立信心の います﹂とお話しくださ に及んでしまうのか、酒

とに開催することとなり トに出演いただき、佛立 あいさつ﹂と題し、先祖 ました。 両日ともに全プログラ ました。 フェスを開催しました。 供養や戦死戦没・自然災   全国に先駆けて開催す 桃山音楽隊﹁MOMON 害で亡くなられた方々を ムを無事に終了し、晴天   ること、本山宥清寺をお GA﹂の賑やかなアイル ご回向させていただける のお計らいもいただきま 借りすることの重圧もあ ランド音楽は、通りすが ブースを設けました。

歌に﹁壱尺の楽しみ得ん

と十丈の くるしみをす   るこれが煩悩﹂と示され

佛立教育専門学校創立記念日 支庁布教区弘通参与合同会議 講有考試教場試験︵上座︶ 本山奉仕﹁弘通担当者の部﹂

日   時の記念日

昭和四十七年六月五日からスウェーデンのストッ   クホルムで開催された﹁国連人間環境会議﹂を記念 して、環境保全に対する関心を高め啓発活動を図る 日として制定された。

5日   世界環境デー・環境の日

歯と口の健康に関する正しい知識を普及し、国民   の健康の保持増進に寄与することを目的として厚生 労働省、文部科学省、日本歯科医師会が昭和三十三 年から実施している。

4日   歯と口の健康週間

天保十二年︵一八四一︶のこの日に、はじめて日   本人により写真撮影がなされたので、昭和二十六年 から定められた。

1日   写真の日

昭和二十五年のこの日、電波三法︵電波法・放送法・   電波監理委員会設置法︶が施行されたことにちなむ。

1日   電波記念日

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日      日      ∼ 日   日

日   梅雨入り

大 正 九 年、 時 間 の 大 切 さ を   尊重する意識を広めるために 設 け ら れ た 記 念 日。 こ の 日 と なったのは、 ﹃日本書紀﹄から、 天智天皇十年四月二十五日︵今 の 暦 で は 六 月 十 日 ︶ に、 初 め て時計が鐘を打った日とされ ることから。

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があるじゃない!﹂とよ ている。人間というもの

こよみ

り多くのみなさんの﹁心 は本当に哀しいもの。愚

の拠り所﹂となるお寺作 かなものと誰も気づかな

りを第一支庁管内寺院・ い、それが悲しい▼山口

と励ませていただこう。

いは口唱信行にしっかり

太陽が黄経八十度の点を通   過 す る 日。 毎 年 六 月 十 ∼ 十 一 日ごろ。実際の梅雨の期間は、 地方や年によって異なる。

日   第十七世講有日養上人ご祥月命日

日   第二十一世講有日勤上人ご祥月命日

大正五年、本山宥清寺で第十二世講有日宥上人、   たか女を両親にご誕生。昭和十一年、第七世日淳上 人を師僧に得度、僧名を清教といただく。昭和二十 三年から大阪圓妙寺でご奉公。同二十九年に住職を 継承。本宗参議、弘通顧問等の要職を歴任。平成四 年、 第二十一世講有に就任。任期満了間近の平成八年、 法寿八十一歳でご遷化。

日   父の日︵第三日曜日︶

昭和四十七年、アメリカで正式に国民の祝日とな   る。同国で十九世紀初頭、男手ひとつで六人の子供 を育てた父親に感謝し、その墓前に白いバラを供えた ことから、この日には父親にバラを贈るようになった。

日   夏至

のれをしらぬあほは沢山﹂ 一年で最も昼が長い日。太陽黄経が九十度のとき。   日 ︵御教歌︶であるからこ   日弁︵辯︶聖人ご祥月命日︵本山宥清寺 開基︶ 高祖日蓮大士の御弟子で、青柳山本門寺︵後の宥 そ、煩悩即菩提のお計ら   清寺︶を京都二条に、延慶元年︵一三〇八︶に創建。 いをいただくべく、お互 日蓮大士御手自開眼御霊像を奉安される。応長元年 ︵一三一一︶ 、奥州、今の宮城県角田で暴徒に襲われ、 法寿七十三歳でご遷化。

かしこの沙汰をして お

が身。 ﹁よの人のあほと

被害者になるや知れぬ我

自らが加害者に、そして

ことだろう。いつ何時、

にしていたファンも多い

﹃ダッシュ村﹄を楽しみ

TOKIOのテレビ番組

苦を背負っていくのだ▼

害者も共々に、今後この

い。加害者だけでなく被

バーや番組のスタッフ、   明治三十五年、静岡県でご誕生。大正九年、東京 乗泉寺で入信。同十四年、第十五世日晨上人を師僧 芸能界、全国のファンや に得度、僧名を正養といただく。昭和十八年八月、 師命により札幌親会場に赴任。教線伸張し、同二十 スポンサー等と、及ぼす 一年に信廣寺と寺号公称。全国教化大会で三年連続 影響や損失は計り知れな 一位となる。昭和五十三年、第十七世講有に就任。 同六十一年、法寿八十五歳でご遷化。

害者はもとより他のメン

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6 月の 月の こよみ

標であった﹁第一支庁管 信念・スピリットを感じ いました。 りました。しかし全ての り や 海 外 の 旅 行 者 の 方 な 十 二 時 か ら 本 堂 に お い   プログラムが大きなトラ どにも響き、たくさんの て松本現喬支庁長を奉修 内の全ての寺院・教会か ました。 今後の課題と向き合う   また委員長の三名も大 と共に﹁お寺っていいじ ブルもなく無事終了し、 宗外者にご来場いただく 導師に、お看経の一座を ら一名以上参加する﹂を   本山御宝前の多大なるお きっかけとなりました。 設けました。宗外や普段 達成することができず大 役を終えて、それぞれ信 ゃ な い!﹂ ﹁私にはお寺

心増進のきっかけとなっ 力添えを感じることがで またシンガーソングラ あまりお寺にこられてい 変残念でした。   自分たちのご奉公不足 たようです。友義くんは きました。 イターの本井美帆さんが ない方々にもお看経の方   各布教区から選出され フェスの最後に歌ってく 法がわかるよう委員長三 をお懺悔するとともに、﹁これからもしっかりお   た実行委員長の友義昇く ださった﹁花は咲く﹂は 人によるレクチャーもあ 第一支庁管内の異体同心 寺にお参りし、また、青

ん︵宥清寺布教区・宥清 夕暮れの幻想的な本山を り、参加者一同が心を一 をご祈願させていただか 少年の一座で友達になっ 教会が率先してご奉公さ メンバーも、どうしてそ 寺所属︶ 、名嶋航世くん 会場にしっとりと歌い上 つにしてお看経させてい なければならないと強く たみんなにも会いに行き せていただき、今回の一 のような罪を犯したのか

たいと思います﹂と語り、 座が長い歴史の大きなタ 本人でも分かっていない

音楽につられて海外の旅行者も踊り出す!

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名嶋くんは﹁委員長をや ーニングポイントとなる のではないか。女子高生

りたくなかったけど必ず ことを祈ってやみません。 にしても、まさかあのよ

何かの縁がくると思い、 ︵誕生寺・梶本明子記︶ うな目に遭うとは思いも

手にハート型のペイントをしてもらいゴキゲン!

よらなかったはずだ▼山 MOMONGAが賑やかなアイルランド音楽を演奏

口メンバーの行為が、被

東の活気ある演奏で境内も一気にお祭りモードに!

︵京都布教区・誕生寺所 げ ら れ 、 参 加 者 一 同 が 感 た だ くことができました。 感じました。また二十代 属︶ 、平間翠さん︵江北 動し、一つとなった瞬間 フィナーレには﹁祈り 以下のご奉公者・参詣者   布教区・大津佛立寺所属︶ でした。 のモザイクアート﹂とし も少なく、今後の法灯相 の三名が両日の司会を務 六日は午前十時にオー て、参加者が祈りを書い 続や下種結縁のご奉公も   められ、ご奉公者の先頭 プンしました。この日は に立って、精一杯頑張っ 本山境内や会館二階の法 悦殿に約二十店舗の屋台

司会を務めた3人の委員長(左から平間翠 さん、友義昇くん、名嶋航世くん)

購 読 冥 加 料  一部 50円

THE BUTSURYU SHIMBUN

橋口清遠 編集人

永江日盡 発行人

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ていただきました。

本井美帆さんの「花は咲く」の歌声が響き 渡った

平成 30 年6月 1 日発行

6月号他ページの主な記事 ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ ┃ 本門佛立宗機関紙

!!

まず一日目の五日は午 と展示を設置しました。

誕生寺コーラスグループ「蓮合唱団」が美しいハーモニーをご披露

電 話 (075)461-1166(代) 振 込 口 座 京 都 18650

体験談:5支・妙晃寺 福山博巳・高木清一氏、 日本ジャンボリーのご案内 3支・佛立寺 久米宰子姉 特一級を拝受して、 ニュース・アイ 「お祖師さまをお訪ねする物語」第6回、 佛立この人 7支・応護寺 杉本海音さん・和雄くん

5月5∼6日 本山宥清寺を会場に 5月 5 5月5 月5 6日 6 本山 本 本山宥清寺を会場に 山宥 山 宥清寺 寺を を会 を 会場に 会

祈りのモザイクアートをバックに記念撮影(円内は御法門される講有上人)

発 行 所 晴天無事に本山門祖会を厳修、 5支・宣妙寺 講有巡教門祖会を奉修 教化体験談:5支・乗泉寺 伊勢恵美姉、 佛立ミュージアムのご案内 2面 3面 4面 5面 6面 7面 8面

平成 30 年6月1日 金曜日   (毎月 1 回 1 日発行)

聞 新 立 佛   (1)    第 7 0 2 号    (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)

全国支庁のトップを切って

第1支庁で「第6回 青少年の一座」開催


③豊晨寺 澤田日松師 ⑤清流寺 加藤日流上人       ⑪大法寺 青木日斯師 ②清風寺 池田日深上人       ◆住職任命辞令下付 ⑪要法寺 安田清滉師 久しぶりに通常の御大会に戻っての参詣     ③伊勢・佛立寺 ⑧本現寺 田中泉英師       内田日喜師 本山宥清寺の門祖会が 十一支庁、そして全国か ③要津寺 中村日馨師 出座教務 一六九師             去る四月二十二日、第一 らの団参者等、二九〇〇 ⑪香風寺 福岡日雙師 総 計 二九一三名 ◆住職在位二十五年以上            退任教務表彰 座に幸島日柱上人、第二 名を超える参詣者で賑わ ②経王寺 中西淳進師     第三座での宗門式典 ⑤清雄寺 小山日誠上人 ︵代表拝受・福岡日雙師︶ 座に講尊・小山日誠上人、 った。     なお、この日の第三座 ②本成寺 北村日鏡上人 ◆特一級授級褒賞授与式 参詣の内訳は、     本山信徒 一七〇九名 では、以下の宗門各種式 ︵代理拝受・泉恒健師︶ ③名古屋・佛立寺     ◆法臘五拾年教務表彰 久米宰子姉 当番支庁 八三〇名 典が執り行われた。    ⑪扇陽寺 山岡日舟師 ︵喜びの声を七面に掲載︶ 他の支庁 二〇五名 ◆称号授与﹁講老﹂

一昨年の高祖会から昨   年にかけては開導聖人ご

講老授与・池田日深上人

代理拝受・泉恒健師

住職任命・内田日喜師

特一級・久米宰子姉

法臘50年代表・福岡日雙師

晴天無事に本山門祖会を厳修

住職退任・北村日鏡上人

第三座に講有・髙須日良   上人、第四座に講尊・山   内日開上人を、それぞれ   奉修導師にお迎えして厳

講老授与・加藤日流上人

当日の宗門式典 で 表 彰 等 を 受 け ら れ た 方 々

住職退任・小山日誠上人

修された。

生誕二百年の慶讃本山参

詣としての奉修であった

が、この度の門祖会から

は通常の御大会に戻って

平成 30 年6月1日 金曜日   (毎月 1 回 1 日発行)  (2)

の奉修となった。

当日は、最高気温が三   十度に達するとの天気予

報であったが二十八度台

に収まり、吹く風も爽や

親しく御法門をくださる御講有

かな晴天のお計らいをい

異体同心のご奉公で参詣も増加!

講有巡教 門祖会を盛大に奉修

5支 宣妙寺

ただく中、本山信徒を始

め当番参詣の第一・六・

去る四月八日、東京常 上人をお迎えして奉修さ にも散らず、お参詣の皆   磐布教区では講有巡教と れました。 さまをお迎えすることが

宇治田住職の挨拶

して、土浦・宣妙寺︵住 当日は、さわやかな晴 でき、布教区役員・管内   職・宇治田常仁師︶門祖 天に恵まれ、宣妙寺自慢 寺院の住職・担任の全師 かなはざるらむ﹂との御

前が大事。初心の心、決

海外部長・伊藤随隆師が 縋りする素直一途な信心

きましたこと、そして、

の参詣を得て午前十時半 いただけます、とご教示 お人柄に接することがで

から始まり、御講有上人 くだされました。

より﹁弘通興隆費﹂下付、 御講有巡教をお受けす 右肩下がりであった寺内   本庁随伴・伊藤部長から るに際し、ご奉公者のほ 参詣者も右肩上がりにな

高祖日蓮大士ご降誕八百 とんどが初めてで行き届 ったこと、随喜いたして

年慶讃ご奉公﹁教化・法 かないことが多々ありま おります。

公で無事奉修することが いよう、慶讃ご奉公成就

灯相続 つづれ織り運動﹂ したが、ご奉公者、布教 起信山・宣妙寺の名に     の推進について説明と激 区役員の異体同心のご奉 誇りを持ち、名に恥じな

励をいただきました。

参詣されました。

講有巡教は各寺院から 定心、常精進、懺悔改良   六十三名、寺内百三十名 によって必ずお計らいが

御講有上人の御法門は できました。 に向け、決意を新たにさ   また受入れご奉公のお せていただきました。 ﹁一すぢにたもつみのり   のまこと故 世に何事か 蔭で御講有上人ご夫妻の ︵事務局長・古川幹雄記︶

総勢約200名の参詣で賑わった宣妙寺の本堂

会が、御講有・髙須日良 のしだれ桜が前日の強風 が出座。本庁随伴として 教歌で、御法様を信じお

第 7 0 2 号    (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)

第2支庁「第6回 青少年の一座」開催について  毎々為法為宗ご奉公ありがとうございます。  私たちは、第2支庁エリア4布教区の教講で構成さ れた「第6回青少年の一座実行委員会」です。  さて宗内においても全国的に「若い方のご信心離れ」 が伝えられています。ある青年会未発足寺院は「役中 後継者候補がおらず、いつかなんとかしなければなら ないとは思っているが、なにをすればいいのかわから ない」と仰せでした。お伺いしてみると、お話しいた だいた方々の9割は 60・70・80 代の「薫化会・青 年会経験者」でした。皆さんは薫化会・青年会を経て、 それがご縁となって役中のご奉公をされているのに、 荒っぽい言い方をすれば、こちらは今後このままでは 後継者候補の9割を失うということになってしまいま す。すぐにご奉公に取りかかるべき状態であるものの、 危機感はありつつ先送りにしてしまったり、どこから 手をつけていけばいいか悩んでしまうケースもあるの ではないでしょうか。

この度の「第6回青少年の一座」は過去に奉修され た一座と異なり、全国的に各支庁エリアごとに、私た ちに近い場所で奉修されます。  つきましては、今回の青少年の一座を「青年会の発 足」 「更なるご奉公成就」のきっかけとしていただき ますよう、将引のご奉公をお勧めさせていただきます。 合掌 記 前夜祭   日 程:平成 30 年8月 11 日(土)   時 間:17 時 00 分開始   場 所:安国寺 法 要   日 程:平成 30 年8月 12 日(日)   時 間:10 時 30 分開始   場 所:清風寺

第4支庁「第6回 青少年の一座」開催について テ ー マ:人のこころ、結ぶところ            ∼共に歩まん法の道∼ 日  時:平成30年8月19日(日)11:00 ∼ 場  所:1部 ワークピア横浜      2部 中華街にて別席 参詣目標:400名 ○テーマ「人のこころ 結ぶところ」 「結ぶ」という言葉には色々な意味があります。紐を結ぶ、 努力が実を結ぶ、そして仏教的な意味では縁を結ぶ「結縁」 という意味があります。今回の一座を、人と人、こころと こころ、そして何より私たちとお寺を結ぶ場所にしたいと 思っています。

○対象「中学生∼ 30 代」 それぞれの年齢で佛立信心の有り難さを感得し、法灯相続 に繋がる企画を計画しております。 キッズルームもございます。引率の方、供連れでの参加も お待ちしています。

○主な内容 第1部 法要 11:00 ∼ 奉修導師 支庁長 清水泉洋師 スタート・挨拶・概要説明 ブースプログラム  3∼5程度のブースを作り、文化祭のように参加者が興 味のあるブースを回ってもらう。  ・現在のブースアイデア    ・若手教務さんの法話ブース    ・HBS グローバルブース    ・子育て学ブース    ・不良のための仏教ビジネス講座 etc 体験談発表 御法門  ブラジルのコレイア日友導師より御法門をいただきます 記念撮影 終了 13:00 第2部 横浜中華街 北京䈽鴨店(ペキンカォヤーテン)  中華料理を食べながら「ボーズバー」や「バンド演奏」 などの企画を予定しています。  会費 学生 1000 円、社会人 2000 円 他支庁からのお参詣もお待ちしております。


参詣でハトコ、ハトコの 無しで立ち上がれるよう

ご主人の正法帰入のご祈 になるお計らいをいただ

願をあげて勤務後、深夜 きましたが三日後、肺炎

に母と一緒に入信証と御 で再入院し十一月一日に

供水を持参して、一時退 退院されました。

院中のハトコのご主人宅 その後、十一月六日に  水が溜まり体力低下の へお見舞いに伺いました。 腹

京都佛立ミュージアム 次回展示のご案内 大好評につき﹁トランクの中の日本﹂再び

ஜᧉ˹ᇌ‫ܪ‬ϋ‫ٶ‬ૠܱጚƝƟƍLJƢ

大して面識もない︵五 ため再度入院となり、ハ  一歳の︶ご主人から進 トコと次男で予定してい 十

Ƅ τࡉჄᙱܷࠊᰙ௎‫ ݢ‬ɠႸ ᳎ Ჿ ᳆ Ჴ ᳀ ᲻ ᳒ Ჴ GDQMR NRXPXWHQ#ZRUN RGQ QH MS KWWS ZZZ RGQ QH MS aFLR

行ガン末期での発見で手 た高祖会のお参詣は叶い

全国寺院・教会の皆さまには、日夜ご弘通ご奉公にお励みのことと随喜申しあげま  。さて、本年も宗門総回向のご奉公をさせていただく時期がまいりました。 す

◎宗門総回向とは、全宗門人が願主︵弔主︶となって、有縁の諸精霊のご回向を本  開導会︵今年は七月十五日︶に併せて、言上させていただく厳粛な法要です。 山

◎私たち信者の魂の古郷は本山です。その本山の御宝前で、霊名が読み上げられる

宗 門 総 回 向 料 奉 納のお 勧 め

のは、亡き方々の大名誉であり、喜びです。本山開導会に参詣される多数の教講皆様

の口唱の功徳もいただけることですから、ふるってお申し込み下さい。

◎ご奉納いただいた回向料は、本山護持と宗門弘通に活用される浄財となります。   平成三十年六月一日

宗 務 総 長 木村 日覚 本山宥清寺      本  門  佛  立  宗      財 務 局 長 岡 田 秀 次朗 宗 務 本 庁         宥 清 寺 局 長 奥 順作

合掌

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ありがとうございます。 できました。 術ができない事やご両親 ませんでした。入信から ﹁また、お寺から御供水 弘通年度も変わり日常  昨年のお教化のお計ら  行に励む中、その後、 九月末の世田谷別院の のご回向ができていない 一か月後の十一月十五日、 いただいて来ますね!﹂ 信  のお話をさせていただ   御総講で御導師から弘通 事等、ご主人の身の上話 緩和ケア病棟に移られ、 と言い直すと、目頭を熱 深夜にお助行に伺うと二 い

年度残り六十二日、また を伺い、御本尊御奉安を 食事も御供水も飲み込む くして﹁ありがとう﹂と 人のご子息は、ハトコと きます。 昨年は開導聖人ご生誕 翌日十月一日の御総講で お勧めすると直ぐにでも のがヤットで、いただけ 言われ病室を後にしまし 一緒に後ろに座って大き  百年慶讃・日慶上人御 は残り六十一日との激励 お迎えしたいとの意向で ていない容態との事。 二 た。 な声でお看経するように

十七回忌正当の年、例年 をいただき、襟を正す思 した。 十九日、懐中御本尊様 入信四十日目の十一月 なりました。     通り、弘通年度が変わっ いでカウントダウンしな ご主人は、抗ガン治療 を お 供 し 御 供 水 を 持 参 し 二 十 三 日 、 母 と 故 ・ 荒 川 また彼の六七日忌に当 て直ぐに教化誓願をたて がら朝参詣に励んでおり   の自宅療養中で体力が無 て病院へお見舞いに伺い 昌丸氏の枕経から帰宅す   たる一月三日の初総講に

て初めて乗泉寺へお参詣

彼が入信したことを知 され、勿体なくも御導師  ない彼の弟と長男に、 からお年玉を頂戴でき、 ら

つけました。

させていただきました。 ました。 く、両膝下が過度の浮腫 ました。ベッドの上のご ると、父から彼の訃報が は、ハトコ、次男、嫁い 十月十一日、いつも通 みで歩行困難な状態の為、 主人のお腹は腹水でパン 入った事を聞き、母と一 だご息女が二歳と二ヵ月 近年、寒参詣や夏期参  は、平日は近所の清雄   詣 緒にご主人の枕経へ駆け の二人のお孫さんを連れ

寺、休日は乗泉寺へお参

詣しての皆参でしたが、 報恩の思いで乗泉寺皆参

ひとりの仏縁を懇切丁寧

つづれ織り運動、ひとり

高祖ご降誕八百年慶讃  ご奉公成就に向けて、 の

ぱいになりました。

彼が生前、最後に求めら 有難く、感謝の念でいっ

すぐに御本尊を奉安 葬儀も当宗で    5支・乗泉寺 伊勢 恵美

ハトコの主人が末期ガンと聞き

を決定致しました。 寒参詣後は月初めの祈 り朝参詣後、職場に着き  朝参詣週間やお掃除当 携帯電話を確認すると、 願

番日、開門参詣強調日等 数年前に携帯番号を交わ は、渋谷への朝参詣を心 した東浦和に住んでいる

掛ける様になりましたが、 父方の本家、ハトコのお

平日はお寺参詣しない日 姉さんから︻変わりない に育成ご奉公に邁進して もありました。家族揃っ ですか? おじちゃんは ご自分の代わりにハトコ パンに膨れ上がっていま れた御題目なので、この まいります。

す か ︼ と 、 シ に 十 五 日 に 乗 泉 寺 へ お 詣 てお参詣させていただい 体調どうで し た の で 、 お 腹 を 擦 り な 御 題 目 で お 見 送 り し た い 本当にありがとうござ  ました。 た四月の本山の慶讃法要 ョートメールが入ってお りして御本尊様をお迎え がら御題目をお唱えして 事、また弔問者にもお唱 い するよう頼まれました。 いると、サプライズで宮 えいただきたいとお伝え を機にお教化成就の朝参 りました。

平成三十年三月上浣

御 真 書 等 保 存 刊 行 会 阪 光 清 寺 先 住・ 大 野 日 も の で 一 三、 二 二 五 編 た だ く こ と を お 勧 め い  は、このたび﹁日扇 鶯師が三十余年に亘り、 に及ぶ御指南が網羅さ たします。 で

﹁日扇聖人全集語句索引﹂発刊のお知らせ

妙に感じ、直ぐに電話 また前夜に、ご主人が自 城県からお友達二人がお し、ご回向させていただ 詣を決定し、夏期参詣は  てみますと、ご主人が 分もお寺へお詣りしたい 見舞いにみえました。 朝参詣で皆参することが し きました。葬儀にいらし

ガンで闘病中 から車で迎えに来て連れ 私が彼の手を握って、 た宗外者がご回向のしお との事でした。 て行って欲しいとハトコ ﹁ また来ます!﹂と言う りを手に、各々が大きな

隅 ま で 何 度 も 拝 見 し、 頁 に 及 び ま す。 日 扇 聖

聖人全集語句索引﹂を 日扇聖人全集を隅から れており総頁数千五百 発刊いたします。

務本庁発送の荷物に

๦ȷ᣿ማȷᘙφȷ৒᫇ȷᎪȷ᪰ࢄّ ሁ

ご主人の遺影を胸に里香さんと 次男の周大くん

本書は平成二十八年 コツコツと語句を集輯 人全集を拝見する際に、     月 に 遷 化 さ れ た、 大 さ れ た デ ー タ に 基 づ く こ れ に 勝 る 手 引 き 書 は 第四期 十

御真書等保存刊行会 ございません。 会長 中西日源 今 回、 そ の 内 の﹁ あ      、 か 行 ﹂ を 上 巻 と し 行

です

て 発 刊 し、 続 い て 本 年 ※冥 加 料 は 一 冊 三 千 円

度 中 に 中 巻、 下 巻 を 刊

同梱しています

行 い た し ま す。 是 非、 ※申 し 込 み 用 紙 は、 宗

宗学研鑽の友としてい

座右の書として、また、

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教化 体験談

事情をきいて 次男を共連れ朝参詣し、 もらい、その お受持ちの金澤照念師に 日の前助行で お折伏していただき、午 連合の皆さま 後、無事に御本尊御奉安 に正法帰入の いただきました。日慶上 お助行をいた 人御十七回忌の一週間前 だきました。 で御法様からのお計らい 翌朝・十二 と感得しております。

母・祐子さんと本山参詣の折に

‫ݢ‬ᨈૼሰȷો̲߻ʙ ϋᨉᒱӈȷ૨҄ᝠ̲ࣄ

本年もご奉公成就を誓う伊勢恵美さん

私は勤務中で から連絡がありました。 と﹁ありがとう。もう帰 声でお唱えする御題目を 長話もできな 十五日の日曜日にはハ っちゃうの?﹂と名残惜 聞き、感無量になりまし  コ夫妻、中学二年生の しそうに言われたので、 た。 いので、母に ト

右から金澤照念師、飯田里香さん、在りし日の飯田弘文さん

の開門参詣 日 ご奉安翌日、ご主人は  足の浮腫みがとれ介助 奨励日に開門 両

大野日鶯師

平成 30 年6月1日 金曜日   (毎月 1 回 1 日発行)

聞 新 立 佛   (3)    第 7 0 2 号    (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)


海外弘通だより∼ 韓国編

山初灯明料奉納式も執行 ただくとともに、しっか させていただいた。 植田局長は御法門の中   で﹁教化は気持ちさえあ れば誰でもできるから、

︵文責・姜

蕙昌︶

小原 日諭

を入れて来ました。

させていただくことに力

とりにお勧めを積極的に

信者を調査して、一人ひ

願主になられていないご

7支・清護寺住職

勢あった状況でした。

佛立宗なんでもQ&A︵新連載︶

ん者はこの子か﹂と述べたとい

は驚いて﹁他日、我が門を興さ 赴かれることになります。

でこの疑問を晴らすべく鎌倉に

聖人︶はご自身

ず、蓮長︵日蓮

えることができ

師、道善房も答

少年僧、蓮長   のこの疑問には、

た。

というものでし

︵妙法尼御返事︶

一味なるべし﹂

るには仏法は唯

かなき心を推す

う僧︵聖人の師、道善房の兄︶ と申す宗も候なり。⋮我等がは

Q 日蓮聖人はどのような動機、 があまりにも鮮やかに漢籍や仏   いきさつがあって出家され僧侶 教書を読んでみせたので、たま たま寺を訪れていた道義房とい

となられたのですか。

A 日蓮聖人︵以   下、聖人と略す︶ は一二二二年︵承 久四年︶二月十六 日、現在の千葉県 房総半島の太平洋 に面する天津小湊 町にお生まれにな りました。 聖人ご誕生の前   年には倒幕運動に 順徳、土御門の三上皇が、それ

ところからすると、聖人ご自身

羽上皇のご落胤であろうという と思われます。 聖人ご自身も﹁幼少の時より 説も生まれています。聖人ご自   身はその出生について、 ﹁海女 学文に心をかけし上、⋮⋮十二 ︵破 が子﹂ ︵本尊問答抄︶ 、 ﹁民が子﹂ のとしよりこの願を立つ﹂ 良観等御書︶と話しておられる

また今年の研究では聖人は後鳥

も向学心に燃え、すすんで入寺

さることになります。

の教義や信心のあり方を研究な

諸寺院にも足を伸ばされて諸宗

比叡山延暦寺に入山、以後三十

4支・法深寺住職

清水 泉洋

は京都、奈良、大阪、高野山の

されたのですが、この間に聖人

年間、ひたすら行学二道に精進

二歳で山を去られるまでの十一

いるのみで、くわしいことは伺

︵中興入道御消息︶と記されて い知ることはできません。

るためのお寺に入れられたのだ

聖人は鎌倉遊学中の四ヵ年に るという事件、承久の変が起き う逸話が残っていることや、聖   人の家庭がさして困窮していた 主に浄土宗、禅宗の教義を学ば ています。 聖人の父君はもと現在の静岡 とも思われないことから考えて、 れました。その後、聖人はさら   県に所領をもつ貫名重忠と称す 我が子の恵まれた才能を生かす に綿密に仏法を研鑽するため、 る武家であったとされています。 ための修学、勉学の道を歩ませ 当時日本随一の学問所であった

ぞれ隠岐、佐渡、土佐に流され

失敗した後鳥羽、

有りときく上に、禅宗、浄土宗

は幾多の変遷を経て今は 中で気張らせていただく 務支庁管内からたくさん り準備のご奉公させてい し勉学を志されていたことがう 鶴松寺と新清寺の二ヵ寺 運動である。五つ全部は の教講の方々が団参をさ ただこうと覚悟を新たに かがえます。 院体制で、一時と比べて 無理と思うなら、一つで れる予定だが、第七支庁 させていただいた。 日蓮聖人が善日麿という幼名   本年から宗門では、高 立てさせていただいた。 実践する信徒育成 信徒数も大幅に減少して も二つでも、と志をおこ の中には、去る二〇一一 なお、二〇一八年度の 聖人が生まれられた小湊の漁 を蓮長と改め、正式に出家得度       祖日蓮大士ご降誕八百年 高祖日蓮大士ご降誕八 一、五ヵ年教化誓願 いる。教化に対する気持 してもらえるよう勧めて 年の東日本大震災で被害 韓国教区本山初灯明料奉 日 蓮 大 士 ご 降 誕 八 百 年 村から北へ約八キロのところに されたのは十六歳の時でしたが、     百年慶讃﹁教化・法灯相 鶴松寺 二五戸 慶讃﹁教化・法灯相続 ちなど弘通意欲も全般的 いる。 を被ったお寺やご信者も 納金額は次の通りである。 ある天台宗寺院、清澄寺に入ら 聖人はこの頃から当時の仏教界     記 念 シ リ ー ズ その一   つづれ織り運動﹂の五ヵ 続 つづれ織り運動﹂ 新清寺 二五戸 に低迷しているのが現状 その中、去る三月二十 いらっしゃる。 鶴松寺 二〇一名 れ、本格的に学問に励まれるよ の状況に疑問を懐かれるように            一、教化誓願を立て、 一、教務員・学徒増加 である。 年誓願ご奉公がスタート 五日には、弘通局長・植 未だ復興が進められて 五六八万一〇〇〇ウォン う に なったのは十二歳でした。 なりました。聖人が懐かれた疑       し、韓国教区はこの慶讃 下種結縁、菩薩行を実践 誓願 その中、高祖日蓮大士 田日事師を奉修導師に迎 いる大変な中でご参詣さ 新清寺 七四名 聖人が清澄寺に入られて間も 問とは、 ご出家の動機と留学           ご降誕八百年慶讃ご奉公 え、門祖日隆聖人御開山 れる方もいらっしゃる﹂ 八九万〇〇〇〇ウォン   ない頃、まだ少年であった聖人 ﹁倶舎宗、成実宗、律宗、法相   のスタートと、講有上人 会を奉修させていただき、 とのお話を聞き、出席者 合 計 二七五名 宗、三論宗、華厳宗、真言宗、        御巡教という勝縁をいた その中で二〇一八年度本 一同は大変随喜させてい 六五七万一〇〇〇ウォン 法華天台宗と申す宗どもあまた

高祖ご降誕八百年 講有巡教で改良図る

菩薩の五行誓願を立てご奉公推進

ご奉公に加わり、更に十 する信徒育成 鶴松寺 三名   一、家族のため法灯相 新清寺 三名 月二十八日には六年ぶり     に講有上人の御巡教をい 続、薫化会・青年会発足

ただく大事な年である。

この度の高祖日蓮大士   ご降誕八百年慶讃ご奉公 は、海外教区でも日本と

同じく誓願を立ててご奉

公させていただくという 育成 近年、宗門の海外弘通 だいた今年こそは、韓国 先ず誓願を立てて御宝前   一、人のため助行実践、 は志篤い御導師方やご信 教区も何とか信心改良の に祈願させていただくべ 宗門方針に従い、韓国教   区では次のように誓願を ご利益感得、随喜転教を 者方の熱心なご奉公によ きっかけの年とさせてい し﹂とスライド・プロジ って、諸国で素晴らしい ただくべく、信者各々が ェクターを使って数々の に語って下さった。

成果を挙げているが、長 ﹁菩薩の五行誓願﹂を立 映像を見せながら情熱的

い歴史を有する韓国教区 てる運動を進めている。

③法燈相続、④助行、⑤ 講有巡教に関する準備状

藤岡 日常

正宗徒増加誓願達成

の誓願としては、あまり ﹁菩薩の五行誓願﹂と また法要終了後、韓国     にも少ないのではと思わ は、 ﹁ ① 口 唱、 ② 参 詣、 教区役中との会議では、

れるかも知れない。

もっともその通りであ 下種結縁と教化﹂の五つ 況や心構えについてご指   り、実にもったいないこ の項目に対して、自ら分 導いただき﹁この度の講

支・常薫寺住職

教化成就率第一位

とではあるが、韓国教区 相応の目標を立て日常の 有巡教には日本の第七宗

本紙四月号でも既報の如く、去る三月七日に﹁佛立開導日扇聖人ご生   誕二百年慶讃 代表者奉告大会﹂が本山宥清寺で開催され、平成二十五   年度から二十九年度までの﹁佛立開花運動五ヵ年誓願﹂︱教化誓願・正

人ご唱導のもと開催され た。 ました。 その中での慶讃ご奉公 者の姿を見て、入信した 自宅の御宝前では下種     今度、もったいなくも 先の氏名者のご祈願、ま でしたので、何としても いと言う方もあったりし   身に余る表彰をいただき た、法灯相続のご祈願等 誓願達成させていただく て、御講願主を勧め、三

ご降誕八百年の慶讃ご奉 極的になりました。 公に励む所存でございま 来る二〇二二年の高祖   日蓮大士ご降誕八百年に す。

さて、今回の表彰につ 向けて、教化等のご奉公   いては、お荷物的な当寺 を中心として諸ご奉公の

新シリーズ 第 159 回

役中後継者養成誓願達成

リ等の異体同心のご奉公 きました。 二、毎月、月始めの一 アを組んで訪問配布 会で法要を併修、その都   しかし特別 これらの事はすでに実 をご照覧、ご加護いただ 週 間 、 祈 願 参 詣 週 間 と し 度 、 報 恩 ご 奉 公 誓 願 達 成     に、 目 新 し い 成果報告をさせていただ 延長お看経 施されている寺院も多く、 いたものと教講一同、深

ありがとうございます。 をしながら、より良い一   去る四月一日、第六支部 座を作り上げていって欲

の 青 教 全 国 助 行 と し て、 しい﹂とのご要望を受け 群馬県館林・常信寺︵住 ての加行でありました。 職・横谷日熾師︶で開催 私が所属する第七支部   された﹁第六回青少年の とは寺院間の距離、移動 一座﹂準備会議︵教務八 時間、お寺の規模、弘通 で感じながら勉強させて

師・講務十名︶へ参加さ 状況など様々な違いを肌 せていただきました。

今 回 の 全 国 助 行 で は、 いただきました。また埼   八 月 四 ∼ 五 日 の 両 日、 玉 布 教 区、 関 越 布 教 区、 を会場として奉修される 支庁の中でも布教区によ

﹁ な ん も く 村 自 然 公 園 ﹂ 甲信布教区と、同じ第六

言葉に今後、更に努めて まいります。

﹁ 第 六 支 庁 第 六 回 青 少 って雰囲気がガラッと違 座のためだけのホームペ   年の一座﹂へ佛立青年教 っているような実状など ージの作成、追跡ハイク、 務会としてどのようなご は、こうした会議へ参加 ご供養のメニューを考え たりと、本当に多岐にわ たって皆さんとアイデア を出し合い、とても活発

へ 繋 が ら な い ていただく時には、何か よ う な ジ レ ン 少しでも第六支庁の皆さ

ずは一座の準備会議へ参 とだと思いました。 !﹂という前向きな思い 加をして、実行委員会の また、青年会やくんげ にかえって圧倒されてし   皆さんと顔を合わせ一緒 会層のご奉公者やお参詣 まいました。 に交流を深め、意見交換 者 の 減 少 な ど、思うよう 次回、第六支部﹁青少   に 一 座 の 将 引 年の一座﹂へ加行をさせ

な雰囲気の中で、積極的 報告者 近藤 教要 に意見を出し合っておら           奉公をさせていただける させていただいたからこ れ、みんなで﹁より良い のか、そのためにも﹁ま そ学ばせていただけたこ 一座を作りあげていこう

8月の一座開催に向けて 前向き姿勢に圧倒される

会場となる﹁なんもく村自然公 園﹂のパンフも参考に会議を

﹁青年教務応 けでもないのに表彰をお テキストに勉強会を開催 誓願として立てた﹁寺院 で優勝するチームは監督 チすべく、 3支・妙典寺住職 奥山 日典   の覚悟がチームに浸透し 援隊員二十名﹂充実と﹁ 教化総運動時には、宗 等級昇格﹂という御宝前 受 け し 、 恐 縮 し て い る と   常に新人発掘を 次世代の人達がついて行 ころです。 オリジナル誓願の後継住 ています。 外者へ結縁用パンフレッ からの大きなお計らいを   他寺院では事務局長さ 職養成の教務員増加誓願 ご奉公誓願も何が何で けるお寺作り﹂を模索し 本寺・妙深寺から独立、 トを配布。教化経験者・ 頂戴いたしました。       んや婦人会長さんは十年、 も達成させていただきま も達成させていただくん てまいります。 合掌    十五年と続けてくださる した。 だ、と言う覚

方がおられます。 これには誓願に対する 悟が浸透しな   幸か不幸か当山では二 心掛け・覚悟がありまし ければできま   年、長くて四年すれば代 た。 せん。

を調整し、野外で火を起 権大僧正・佐々木淳格・

盤を築いていこう﹂を合

なご奉公は教化であり、 参ります。 こ と は し て お き毎年、教講共々一所懸 三、御講奉修前、三十 目新しいことをしたわけ く随喜いたしております。   本年・平成三十年は高 できてもできなくとも勇 り ま せ ん。 ま 命ご奉公に取り組んだ結 分口唱会 今回は大変な表彰をい ではないのですが、地道     気を持って下種する。自 ただき、重ね重ねお礼を ずは、 ﹁何が何 果、開導聖人への慶讃報 四、毎月、開基上人ご に継続実施し結果は後か 祖ご降誕八百年慶讃ご奉   公の初年度、当山は寺号 ら臆病心を直す口唱行に 申しあげ、次期ご奉公に で も ﹂ と の 思 恩ご奉公︱誓願達成に結 命日︵四日︶一万遍口唱 らついて来ました。 励み、お教化のご利益を 向けて努めさせていただ いでさせてい お教化も入信と同時に 公称二十周年にあたり、 会 び つ き 、 開 導 聖 人 始 め 先   いただくそのご奉公とし きます。 た だ い た 結 果 師上人方にもお喜びいた 五、月四回奉修の御総 御講願主・お役を勧めま 記念ご奉公を展開中です。   て、組と組の交流助行、 ありがとうございます。 です。 だけ、真に有難い事と一 講︵ご修行︶に、宗門弘 した。中には退転や帰寂、 等級に相応しく内容を充   同、随喜しております。 通局発刊のパンフ・リー 転出で減少もありました。 実し、青少年の一座を好 で金メダルを取る人、相 降誕八百年に向かって若 オリジナル誓願のご奉 フレット﹁フラワーフラ が結果、実質増加となり 機と捉え、より多くの次   撲で優勝する人、団体戦 き後継住職にバトンタッ 公も、特別な事をしたわ ワー﹂ ﹁スイッチ﹂等を お陰をもってオリジナル 世代を担う後続者の育成 に努め、 ﹁弘通発展の基

院ですが信者として大事 成就、内容充実に努めて

福岡日雙師

た め の 祈 願 口 な事がありました。 一、毎日、晨朝勤行ご   唱は月に二度 当山開基・草創・先住 法門終了後三十分間祈願 ベテラン・未経験者の三  これひとえに役中信者   さ せ て い た だ の三上人のご年回。三大 助行 人組み、または二人のペ の尽力、誓願者のガンバ

ご信心ご奉公を以て更に 教化は難しい、大変だと ず残っているご信者の子 このたびの誓願達成に繋 開導聖人ご生誕二百年 寺号公称して以来、心が   精進し、内容の充実を図 逃げの信心より改良され 弟で独立している方、一 がったのです。 慶讃ご奉公、平成二十九 けている事は﹁お看経に り、次なる高祖日蓮大士 攻めの信心、ご奉公も積 緒に住んでいても御講の もちろん、誓願達成の 年までの五年間には様々 始まり、お看経でおわる﹂

であります。この喜びの 今回させていただいて、 願はもちろんですが、ま が誓願数を超えたのが、

喜びも一入、有難い次第 をする事。これらの事を には、と御宝前へのご祈 ヵ年以上を経過したお方

オリジナル誓願達成

そうしているうちに、 清寺において講有日良上 この繰り返しでありまし れてしまったご信者も大   避難先の施設内でのご信

宗徒増加誓願・役中後継者養成誓願、オリジナル誓願の四誓願全て成就 清護寺では、このたび ありがとうございます。 局役、組長の指名のお助     の御礼言上をさせていただくことができた。 佛立開導日扇聖人ご生誕 行、ご修行日に奉修時間 の慶讃ご奉公の始まった その際、誓願達成寺院、平成二十九年度の教化十戸以上成就者への表 二百年慶讃ご奉公を無事 を延長しお助行、また、 頃は東日本大震災の直後   彰が行われたが、今月号では受賞各寺院の喜びの声、そして誓願成就ま に終え、去る三月七日、 街頭にてビラの配布等を で、津波被害や火災の罹 での心構えや努力等を伺った。本年度より始まった高祖日蓮大士ご降誕 代表者奉告大会が本山宥 させていただく、という 災者など多く、地元を離 八百年慶讃ご奉公の成就に向け、良きお手本とさせていただこう。

新畑 正信

教化成就率第一位

2支・久遠寺住職

宗徒数に対して教化成就 行きます。ご信者のご家

三月七日の奉告大会で い人の働き場は非常に少   ﹁教化成就率第一位﹂ ︵正 なく、多くが都会に出て

幼い頃は家族でご参詣で

数の割合が第一位︶の表 族も例外ではありません。

彰をいただきました。

思いがけない表彰に驚 きても一度離れてしまう   きましたが、長年にわた と易々とは帰ってくる事 り南紀ご弘通に努められ もできません。だからこ

五ヵ年の誓願をお立てに そ、御本尊の奉安が大事

なった日義上人︵先住・ になります。 田村道修師︶のお蔭であ しかし、厳しい現実の   ります。また、そのお教 中で簡単には受持できな えを実践して小寺ながら いことが多いのです。先 寺内信徒が一丸となり、 住は、そうした若いご信 ていました。ご遷化の後

誓願成就に励んでまいっ 者へ常にお声を掛けられ

た賜であります。

特に平成二十九年度の もご家族が繰り返し奉安   お教化は、法灯相続によ を勧め続けていただきま く芽吹いてまいりました。

り御本尊奉安がかなう教 した。それらの種が、漸

化が目立ちました。

久遠寺の在ります和歌 この度の教化は、この     山県那智勝浦町は、漁業 ような小さくか弱い花束 育成に励んで まいります。 いただいた   表彰を喜ぶと 共に、新たに

高祖日蓮大士

ご降誕八百年

慶讃ご奉公の

成就と南紀ご

わってくださいと言われ 法華経本門 皆さん﹁成就したいが     ます。そこで﹁全信者総 できなければ仕方がない﹂ 八品で仏様は 役中 皆で良くしよう皆 と言う程度の方が多い様 上行菩薩を滅   のお寺﹂をスローガンに に思います。 後末法の後継 して、何時も新人発掘を スポーツでも勝ちたい 者にご指名に   心がけて、お声がけをし が勝てなければ仕方がな なりました。 ています。 当山も、お い。こんな気持ちでは勝   この度は三誓願と共に てません。オリンピック 祖師さまのご

寺区画再編成に尽瘁され、 特に総務局のご奉公で に文能昇進・上座講師に 授され、いつもと違う印   大いに手腕を振われた。 は、宗門の﹃書式総覧﹄ 叙され、院日号を要正院 象を受けたという。 清風寺のボーイスカウト の作成に尽力され、清風 日調と賜った。昭和五十 趣味は読書。特に推理   四年に権僧正位、同五十 小説を好んで読まれた。 九年には僧正位に昇進さ また、時代劇や野球やサ れ、平成二十三年十月、 ッカーなどスポーツ番組 ついに権大僧正に晋位さ もお好きだったという。 は、御遠諱奉賛部長のお れたのである。 寡黙な人柄だったため   役で多忙を極めたため、 上人の人となりは、ご に清風寺では大人しい御   時の宗務総長だった十八 信心に対しては厳しい方 講師の印象が強かった。

く﹁子どもが一番大事﹂ 寺の武闘派。飛び跳ねて

り、優しくもあった。よ た或る御導師云く﹁乗泉

恐い反面、思いやりがあ 寺で一緒にご奉公をされ

世のお慈悲で本庁専一の であった。しかし厳しく しかし、お若い時に乗泉

書式総覧や言上文の作成に尽力

ーイスカウトの発足に尽 中心的役務を拝命し、そ 力された。松風寺ご奉公 の持てる能力を十二分に 中に、後の第十八世講有 発揮された。 日地上人のお声がかりで 同様に、宗門に於ける

昭和十六年十二月二十 奉公された。 日調上人は、昭和三年 設立にも尽力された。ま 寺では差定全般をまとめ     三月二十四日、宮城県仙 五日、日志上人をお師匠 昭和三十一年、縁あっ た旭別院︵現・清現寺︶ た﹁法要式言上文﹂の作   台市で、父・佐々木昌治 といただき得度、僧名を て乗泉寺より松山・松風 担当、清風寺執事長、清 成に尽力された。また高 氏、 母・ 艶 子 女 の 間 に、﹁應格﹂といただかれる。 寺に所属を替えられ、ボ 風寺教務会顧問等、常に 祖七百回御遠諱の折りに

姉二人弟一人の四人兄弟 向学の志止まず、日志   の第三子・長男として出 上人の許諾を得て東京乗

された。 専門部宗教科に入学され

生され、幼名を忠利と称 泉寺に止宿し、立正大学 中学生の折に最愛の母 た。卒業後は更に同大学   を亡くし、それを機縁に 文学部仏教学科に進まれ、

る。そして、妙護寺ご住 その後、乗泉寺所属教 6年に亘り本山執事長も 佐々木日調上人の巻 とおっしゃり、家族への ご奉公された。バリバリ     職・近藤日志上人ご夫妻 務としてご奉公され、宗 接し方は特に優しかった。 ご奉公された。ものすご を親代わりに慈育を受け、 門が一宗独立してからの 大阪・清風寺でご奉公さ 上人の役務は、宗会議員 ご奉公をなされた。 家庭に於けるエピソー い元気だった﹂とのこと。   教務見習いとして行学に ご弘通と、お看経ができ れることとなった。 二期、教育院理事、百万 その後も第二十二世講 ドでは、家でもお教務・ 平成二十三年、権大僧     勤しまれた。 る環境作りを実務面でご 昭和三十六年、日地上 霊会専務理事、同中央事 有・井上日慶上人、第二 御講師で、子どもたちが 正晋位の翌日、本山高祖   人の縁結びに、登志夫人 務所長、同特別委員会委 十三世講有・野﨑日丞上 上人に相談をする時には 会の一座を奉修された後、 と結婚、三男を設ける。 員、高祖七百回御遠諱奉 人の命を受けて、平成九 言われた訳ではないのに さしもの上人も体調不良

仙台・妙護寺に入寺され 昭和二十五年三月卒業。

一万遍口唱に励む!

10

弘通顧問、総務局局長等 重責を全うされた。

第7支部から第6支部へ青少年の一座会議に参加

弘通の発展を

目指して精進

してまいりま

す。誠に有難

う御座いまし た。

その喜びや努力・苦労を語っていただく

∼そのご奉公を学ぶ∼

5ヵ年誓願達成寺院に伺う

昭和四十年、改めて師 賛部長、総務局庶務部長、 年より十五年までの六年 自然と正座をしていたと を理由に現役を退かれた。   僧に日地上人をいただき、 宗制改正特別委員会委員、 間、本山宥清寺で本山執 いう。その反面、子供た そして、平成二十四年九 僧名を﹁淳格﹂と頂戴さ 開導百遠諱特別局嘱託、 事長の任に当たり、その ちの夏休みには自ら時間 月三日、清風寺所属教務 れた。

羽ばたけ 佛立青年教務会の活動を報告します 青 教

と温泉観光の町です。若 であります。大事大切に

権大僧正列 伝

3月7日の奉告大会で表彰

門祖会を終え姜蕙昌師(前列右から4人目)と韓国教区のご信者方 奥山お住職と局長の百地慶光さん

菩薩の五行誓願の祈願札

権大僧正・佐々木日調上人

清風寺での上人のご奉 を歴任。宗門での重責も 上人の位階は、昭和二 こしたり、ロープをくく 日調上人は、法寿八十五     公を列挙すれば、昭和三 また能く全うされたので 十二年、権講師を振り出 ったりと、スカウト活動 歳を以て化を寂光に遷さ 十三年後半、第一期清風 ある。 しに、昭和四十六年十月 で培った技術を披露・伝 れたのである。

第六支部の一

を傾けながら、積極的に

︵仙台・妙護寺所属︶

ポ ス タ ー や 交流をさせていただけれ   配 布 用チラシ、 ばと思いました。

りました。

て、 私 自 身 も 加を通して、青年会・く 大 変 励 み に な んげ会の皆さまの声に耳

の 皆 さ ま の 色 目標といたします。個人 々 な 工 夫 を 見 的には、この一座への参

マ を 抱 え な が まのお役に立てさせてい ら、 実 行 委 員 ただけるようなご奉公を

常信寺で行われた青少年の一座の準備会議

新畑お住職と喜びの久遠寺ご信者方

小原お住職と局長の細田東二さん

平成 30 年6月1日 金曜日   (毎月 1 回 1 日発行) (4)

聞 新 立 佛 第 7 0 2 号    (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)

平成 30 年6月1日 金曜日   (毎月 1 回 1 日発行)

聞 新 立 佛   (5)    第 7 0 2 号    (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)


の水が出ても﹁ありがと

ございます﹂一回。水道 願いします。 考えられませ

由など一つも

無事にご生誕二百年四誓願を成就

ご利益満開運動 クリーンデーのご奉公   5支・  妙晃寺 福山 博巳・高木 清一

日本ジャンボリーのご案内

8月4日∼ 日 石川県珠洲市で

まして第五支庁管内の各 信仰する宗教 寺院の皆様にお勧めした 宗派に参詣す

カウト・指導者は自分の

の皆さんは是非ご参詣い

津崎記︶

事が予定され、参加全ス ︵佛立スカウト連絡会・

この期間中の八月七日 ただきますようお知らせ   ︵火︶には宗教儀礼の行 します。

いて開催されます。

ふれっしゅ村鉢ヶ崎にお 見学に訪れられるご信者

十日まで石川県珠洲市り ご子弟の皆さん及び当日

第十七回日本ジャンボ ボリーに参加を予定され   リーが本年八月四日から ております当宗のご信者・

10

5支・弘通促進大会で発表

します。布教区では企画

参与講務と壮年会会長の

ご奉公をさせていただい

ています。こちらは妙晃

寺壮年会幹事長の高木清

一さんです。本日は二人

で妙晃寺の佛立開花運動

の発表をさせていただき

いことがございますので、 ることが義務 少し時間をお借りいたし づけられてい

ます。 までと駅周辺の清掃と草 ます。 当本門佛立 取りを行い、歩行者や通 今期より始まりました     勤者に本庁の公宣用ティ 高祖日蓮大士ご降誕八百 宗は木村宗務 ッシュに妙晃寺の宣伝チ 年教化・法灯相続つづれ 総長がご出座 ラシをはさみ、声を掛け 織り運動の具体的ご奉公 され、能登半

年六月に第二十五世講有 きました。結果、四戸の ずに有難いことと思う回 者三〇〇〇余 の アップです。 山内日開上人の御講有巡 法灯相続ができました。 数を毎日、夜寝る前に記 南流山駅周辺は、つく 名、お教化一   教を受けさせていただき オリジナル誓願につき 録して実質四年間で一人 ばエクスプレスの開通後、 個ができまし   まして、大きく挽回する ましては、二つのテーマ 一万回の有難さの感得を 大規模な住宅地開発が進 た。当日は本 ことができました。ご巡 でご奉公をさせていただ 目 標としたものです。 み、お寺のまわりだけで 堂にて祈願助 教の際には梅雨で雨模様 きました。一つは佛立開 毎月、担当部のご利益 も六千戸の住宅の建設が 行の後、本門佛立宗・妙   でしたが、御講有がいら 花運動の四つのきれいな 感得満開運動促進部が集 予定されています。南流 晃寺の名入りのベストや っしゃる所では悉く雨が 花を咲かせるためには、 タスキを着用し二班に分 計 し 、 当 初 目 標 六 十 四 名 山 駅 の 乗 換 え の 通 勤 客 も れて、お寺から南流山駅

コツコツと縁結びクリーンデーのご奉公をされる

も、そして本庁での全国 しょう。

高祖日蓮大士のご降誕 た第五支庁連絡協議会で えば注目もされることで   の地は千葉です、房総で

は布教区の総会でも、ま 日の弘通デーに一斉に行 ていただきましょう。

ていただきます。この件 ります。例えば毎月十二 ために一緒にご奉公させ

ながら手渡しで結縁ご奉 として、この五年間で八 島に御題目を 公をしています。 十回のクリーンデー活動 お唱えさせて 歩行者から﹁ありがと と次世代御講願主早期決 いただきます。   このジャン うございます﹂と声をか 定運動を、ご一緒にして   いただきたくお勧めさせ

止み、晴れ間さえ覗き、 豊かな心の土壌作りが必 六十四万回が最終七十五 多く一日の乗降客は六万 ます。 妙晃寺は佛立開花運動 御講有猊下の御徳のあり 要でございます。信心を 名・約八十七万回で一三 人を超えています。これ   のお教化・正宗徒増加・ がたさと不思議な現証の 深めるために感謝する力 五%、一人平均一万一六 らのたくさんの方々に本 役中後継者養成の三誓願 ご利益を感得させていた を強められるように〝ご 〇〇回で、これも目標を 門佛立宗・妙晃寺を認識 利益感得満開︵万回︶運 成就できました。 していただき、お寺に近 とオリジナル誓願を含め だきまました。

昨年五月には各家庭や た四誓願につき成就させ   ていただきました。あり 家族の中で順調に進んで

がとうございます。これ いない法灯相続に焦点を も御宝前の御加護と宗務 当て次世代御講願主早期

本庁、第五宗務支庁、布 決定運動を始めました。

教区、本寺・唱題寺、門 現在、御講願主のお宅で 動〟を実施させていただ 末寺院の御導師、御教務 もご本人が帰寂されたら きました。 の方々の一方ならぬご支 他宗で葬儀をされたり、 初めての試みでしたの   援ご奉公と、適切なご教 酷い場合には直葬のケー で、どのように実施させ

体験談

ご本意であるから是非や だこう〟ということです。 ません。教講両務で立ち りなさい﹂と力強い励ま お寺の外に掲示板を設置 上がり行動を起こすしか しの御詞をいただきまし 方法はないと思います。 し ホ ー ム ペ ー ジ も 開 設 さ た。百万人の力を得た思 せていただきました。ま お一人で立ち上がられ   いでした。 た、布教区の中では立正 辻説法を行い、幾多の迫 お陰さまで平成二十五 寺さんに続き二番目に縁 害を受けながらも佛立宗   年十二月より揃ってスタ 結びクリーンデー活動を を開宗された高祖日蓮大

気持ちよくご奉公をさせ の方に本門佛立宗のこと を知っていただけます。 第五支庁全寺院で実施さ せていただきましたら数 十万人になり、全国全寺 院ですと数百万人にもな

ある日のクリーンデーご奉公に参加いただいたご信者方

と続けていけば、きっと 特にクリーンデーのご 物の信心の本門佛立宗の させていただきましょう。   大きなご弘通のご利益を 奉公は、妙晃寺だけでも 有難さを知っていただく ありがとうございます。 いただけると信じながら、 五年間で約一万人の宗外

が梶本御講尊にこの運動 たように思われます。あ ていただいております。 認 識 さ れ て お ら ず 、 不 本 をご披露させていただき りがとうございます。 以上で妙晃寺の佛立開 意ながら﹁白法隠没﹂の   ましたところ、殊の外お もう一つのテーマは、 状態が続いています。こ 花運動については終わら   喜びになり﹁何事にも感 〝妙晃寺の存在と意義を の状態に甘んじ手をこま せていただきますが、布 謝することが開導聖人の お寺の内外に知っていた ねいていても何も解決し 教区の企画参与といたし

局長として励まれる福山博巳さん クリーンデーご奉公について話された高木さん

ートすることができまし 始めさせていただきまし 士のご苦難と御本意を思 た。この運動は、朝、目 た。この本件につきまし えば、こんな簡単で有意 が覚めたら﹁ありがとう ては高木さんに発表をお 義なご奉公をやれない理

妙晃寺の名前入りのおそろいのベストで

い状況の中で、ちょうど 前に比べると信行ご奉公 ます。 私が本山奉仕の機会に恵 が義務的ではなく自分か 本門佛立宗は巨大宗教   まれ誕生寺で、昨年残念 らやらせていただこうと 団体等に比較し知名度が ながらご遷化されました いう思いが確実に深まっ 低く、ほとんど一般には

ただきます。この場をお 対策を打つ為です。 ず幹部だけで平成二十五 地道な活動ですが継続 す、関東です、第五宗務 弘通担当者会議を通じて   連合各部より次世代御 年九月に始めましたが議 借りしまして改めて御礼 私の個人的な感想でご づいていただく結縁ご奉 けられる事も多くなり、 宗務本庁弘通局にもご提 こそ力です。少しでも多 支庁です。皆様、心を合     論百出で中々まとまらな ざいますが、この運動以 公は非常に重要だと思い 二年、三年、五年、十年 案させていただきました。 くの宗外者の方にこの本 わせて慶讃ご奉公に精進

導のお陰と感謝させてい スも多く見られる現状に ていただけば良いか、先

前回(平成25年)での宗教儀礼の様子

¹⁄₁₈

うございます﹂一回。御 妙晃寺では一昨年七月 ん。   ありがとうございます。 申し上げます。 講願主候補者リストを提 宝前のお掃除をさせてい より月二回、縁結びクリ 妙晃寺では、     先ず、お教化につきま 出していただき各部ごと ただいたら一回、お寺参 ーンデーご奉公を続けて これまで二十 東京常磐布教区・流山・   妙晃寺で今期より事務局 しては初年度、滑り出し にご住職、局長、弘通部 詣の途中で富士山が見え います。目的は下種結縁 七 回 実 施 し、 長のご奉公をさせていた が悪く先行きを心配して を含め検討会を開き、対 たら一回、当たり前と思 と近隣の環境美化と本門 ご奉公者三〇 だいております福山と申 いましたが、平成二十六 象者にお話をしていただ うことを当たり前と思わ 佛立宗・妙晃寺の知名度 〇余名、結縁

平成 30 年6月1日 金曜日   (毎月 1 回 1 日発行)  (6)

聞 新 立 佛 第 7 0 2 号    (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)


合うチャンスがきたと判断し

教 問題は北朝鮮にあるの    ですから、米国は北の完全非

何が起こるか分からない

揶揄してきました。その二人

た狂犬﹂とそれぞれに相手を

ンプ大統領のことを﹁年取っ

ン﹂と、また金正恩氏もトラ

いない。会談はするが、この

については、北は何も言って

るはずのミサイルの廃棄処分

に完成して実戦配備されてい

が問題視するのは﹁これまで

止を表明したのですが、米国

れた人間のようです。何が起

私たちとは少しばかりかけ離

大統領も金正恩氏も、普通の

教 ちょっと不謹慎な言葉    かもしれませんが、トランプ

米朝は決裂しますね。

信 完全非核化を約束させ    て、 そ れ を 証 明 し な け れ ば、

これからも   熊本の更なる

復旧・復興を

目 指 す 上 で、

http://www.hiratashoueidou.com E-mail butsuryu@hiratashoueidou.com

熊本地震 第三回忌特別ご回向を

て心より随喜、御礼を申

たようです。米国はこれまで

核 化 を 強 く 求 め る は ず で す。

るのではないでしょうか。会

が南北融和の流れに乗って

こるか分かりません。どうか

お焼香される住職・髙須日因師

めております。お陰を蒙 もをさせていただきまし

全国教講のご支援に御礼を申しあげます

誉に恥じない自覚を一層 させていただくとともに、 っています。

新たにして果たすべくご 白木の大塔婆を建立して、 ご信者方も、特に住ま しあげる次第でございま   奉公に精進させていただ ご信者方にもお焼香をい いに関して問題を抱えて す。誠にありがとうござ

く所存であります。これ ただけるよう焼香台を設 いる方もございますが、 いました。

からも﹁初心の信心前﹂ け、長薫寺教講一同、犠

で喜びをもってご奉公に 牲者の方々に対して、心

取り組んでまいりますの から哀悼の意を捧げるも

で、ご指導ご教導を伏し のであります。

平成二十八年四月十四 てお願い申し上げます。   宗門益々のご弘通隆昌 日にマグニチュード︵M︶   発展と繁栄をご祈念申し 六・五の前震、十六日に

上げ、御礼のご挨拶とさ M七・三の本震が起きて

せていただきます。合掌 最大震度七を二度観測し

国連や日本などの同盟国に呼

これに対して北は﹁米国の核

談に応じた目的はどの辺にあ 信 そのトランプ大統領が    米朝首脳会談をする気にさせ

びかけて、北に厳しい経済制

の傘に入っている韓国からも

りますか。 たのは、やはり南北の融和を

裁を課して完全核放棄を迫っ

教 南北首脳会談の実現と    その成功で、米国も北と話し

一つのチャンスととらえたか

てきました。北は一応、核実

核兵器を撤去せよ﹂と主張す

と息巻いてきました。

南北の融和をチャンスに

験やミサイルの発射実験の停

らですね。  教 トランプ大統領は、金    正恩氏のことを﹁ロケットマ

﹁会って話し合おう﹂という

点がはっきりしない内は経済

成功して東アジアに平和が実

談はかなり難航しそうです。

ことになったのですから、世

制裁は緩めない、軍事的圧力

現するよう祈りましょう。

界中が驚いたわけです。

も続ける﹂と言っています。

信 米朝会談のポイントは    何でしょうか。

第三回忌の白塔婆を建立してご回向

京都市上京区一条通御前通東入西町15 電話(075)461−5433 (代) FAX(075)461−9104

り、九十七歳になる現在 た。当山の責任役員・顧 も朝参詣をさせていただ 問・婦人会会長・教区長・ き、清掃当番のご奉公も 組長等のご奉公もさせて

年の歳月が経ちました。 り、感謝させていただく ご回向をさせていただき 上げる﹁みなし仮設﹂な ご信者の皆様より多大な

の施設でブンジェイン︵文在 寅︶韓国大統領と歴史的な会 談を行い、成功させました。 信 そうですね、ちょっと    前までは米韓をミサイルで脅 し続け、敵対的に振る舞って きただけに、急な方向転換で 平和ムード一色です。本当に

拭いきれません。 教 米国も、これまでクリ    ントン大統領以来、何代もの 大統領が北に騙されてきたと いう思いがあるだけに、トラ ンプ大統領は﹁北とは対話の ための対話はしない。核兵器 の全面放棄をしなければ武力 行使あるのみ。圧倒的な軍事

信 要するに米国の首脳会

北は完全非核化を約束し証明するのが条件

信じていいのか、不安な面が

講有上人より親しくお声をかけていただく久米さん

力で北朝鮮の壊滅も辞さない﹂

0120-111-753

特一級を拝受して す ず

久米 宰子

より一層の初心の信心前で 3支・名古屋・佛立寺

何とかさせていただいて いただきました。 熊本・長薫寺︵住職・ たこの地震で、熊本、大 毎日の祈願口唱に励まれ、 熊本県下全妙     ありがとうございます。 の上もなき光栄と深く感 おります。また組御講・ また、宗門においては 髙須日因師︶では、本年 分両県の犠牲者は、二六 どうにか御宝前のお計ら 法化の実現に     教区御講もお参詣がさせ 昭和四十五年に全婦連の 四月十二日より十七日ま 七人に上り、住宅四万三 いの中、無事に暮らすこ 向けて、教 講 第三支庁・名古屋・佛 謝申し上げます。   この間に賜りました御 ていただけることに感謝 初代会長のご奉公をさせ で、去る平成二十八年四 三九二棟が全半壊しまし とができております。お 一同ご弘通教 立寺所属の久米宰子でご   宝前の御加護はもとより、 しております。 ざいます。 ていただきました。当時 月十四日、十六日に発生 た。 寺としても、教講助け合 化に精進させ 現在、熊本県内では地 いこれからの復興に励ん ていただきま 振り返れば、昭和十五 の第十六世御講有・小山 した熊本地震から丸二年 この度、四月二十二日 これひとえに御導師・面       の本山門祖会第三座式典 家日瑩上人のお慈悲、そ 年に正宗徒としてご信心 日幹上人にお仕えご奉公 が経過し、犠牲者の方々 震からの復旧・復興が着 でまいります。 す。

10支 長薫寺

に於いて、佛立第二十六 して佛立寺教講皆様のご ご奉公をさせていただく させていただいた事も本 にとっては第三回忌を迎 実に進む中、仮設住宅や また熊本地震発生後に   世講有・高須日良上人よ 教導とご支援の賜物と感 ようになり、早や七十七 当に有難い思い出でもあ えられるにあたり、特別 自治体が民間住宅を借り は、 全 国 の 寺 院、 教 会、

り、信徒受級褒賞の記・ 謝いたしております。

(本紙嘱託)

入信以来、今日まで無 この間、お教化はもとよ 次第であります。 どに身を寄せていた被災 ご支援や復興ボランティ 栄誉ある宗門特一級の功 ました。   労賞を賜り、身の引き締 事息災にこられたことこ り、面家日瑩上人の僅か 今後も宗門人としてさ 期間中、朝参詣や御修 者の、住まいの確保など ア等を賜りまして、この     まる思いと共に、生涯こ そ、真のご利益と受け止 ながらでもご奉公のおと らに身を引き締めて、名 行奉修中にご回向言上を が今後の大きな課題とな 紙面をお借りして、改め

北の方向転換で融和的に

信者さん 六月の前半にも     史上初の米朝首脳会談が開か

れるそうですが、本当に実現

するのでしょうか。

教務さん 二月のピョンチ     ャン冬季オリンピック大会を

機に南︵韓国︶と北朝鮮の融

和が進んで、四月にはキムジ

ョンウン︵金正恩︶氏がつい

に パ ン ム ン ジ ョ ム︵ 板 門 店 ︶

の軍事境界線を越え、韓国側

本山門祖会のあと講有上人と共に久米さん

解説・朝 倉 日 励

米朝会談 成功は?

フリーダイヤル

平成 30 年6月1日 金曜日   (毎月 1 回 1 日発行)

聞 新 立 佛   (7)    第 7 0 2 号    (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)


のぶ

さん

身 延 山 ①

前回までは、お祖師さま︵高祖日蓮大士︶の 近畿地方のご足跡︵お訪ねになられた場所︶を

お話したけ ど、今回は、お 祖 師 さまがご晩 年

︵年老いてからの時期︶の八年四ヵ月を過ごさ

れた所、身延山︵山梨県︶の﹁御草庵︵簡単な

﹂についてお話するね。 つくりの住まい︶

文永十一年︵一二七四︶五月十七日、お   祖師さまは五十三歳 の時、ご信者 の 南部実

うから本当に寒さの厳しい所だったんだ。 こんな風にお祖師さまの身延山での生活   は、空 腹 と 厳 し い 寒 さ と の 戦 い で も あ っ た んだね。

弘安三年︵一二八〇︶十二月、お祖師さ   まが五十九歳の時、これまで住まわれてい た 草 庵 に か わ り 、 十 間 四 面︵ 一 面 お よ そ 十 八メートルの正方形︶のお堂 の 工事がはじ

この信行ご奉公の功徳   をいただいて法灯相続四

代目の姉弟が、この度の

書道展に九年連続で優秀

な成績を打ち立てたのだ。

せていただこう。

ここで杉本家に伝わる   ﹁家訓﹂を一部、紹介さ

二、冠婚、葬祭を始め、   七支・応護寺︵住職・ 来事は、本人の努力はも すべての行事を本門法華   佐藤日篤師︶の信徒・杉 ちろんであるが、毎日の 経の肝心、上行所伝の御 本清明氏の長女・海音さ お寺参詣や御大会での拍 題目により行うべし

三、当家相続者は当宗 ん︵ 大 曲 高 校 二 年 生 ︶ 、 子木係のご奉公などに励   長男・和進くん︵大曲中 む姉弟の姿を、御法様が の宗旨により信心を相続

学二年生︶の姉弟は、昨 シッカリ見ていてくださ し、すべて信心を第一と 年開催された第八十回秋 り、お力添えがいただけ して信心のための営みと 心得て日夜信行中心の生 田書道展において、条幅 たものであろう。

なお、祖父の杉本博氏 活を営むべし の部で見事、九年連続一   四、家内一統信者と成 位に輝き、その最高の作 は応護寺大曲別院の護持   品が昨年十一月四日付の に熱心にご奉公されてい らざるに、家内に不幸災 秋田魁︵さきがけ︶新聞 る方である。氏は東北で 難起るとも御題目に利生

〒604-0847 京都市中京区烏丸通二条下ル秋野々町518番地

7支・応護寺

最初の男性美容師になっ なしと思う事勿れ に掲載された。 六、人生は浮沈あるべ また、大東文化大学主 た人で、フランスで美容     催の全国書道展では、平 師修業もされている。ま し、家運隆昌、常に先聖 成二十八年に弟の和進く た氏は、小学生の時にお の教えに従い御法の御加 んが小学六年生ながら理 線香を持って部内のお助 護を想い随喜の念を持ち

株式会社 写真化学

書道展で姉弟とも 9年連続1位に!

事長賞を、翌二十九年に 行に回ったほどの強信者 て信行懈怠なく、積功累 は姉の海音さんが高校一 であり、曾祖父で応護寺 徳に励むべし 等々   年生で書道研究所所長賞 事務局長をされた杉本正 杉本家の益々の発展と を、それぞれ受賞する栄 二氏は、法灯相続に力を   入れて九ヵ条に亘る家訓 法灯相続、ご奉公成就を

喜んで承ります。

この人

このような喜ばしい出 を残された程の強信徒 。 祈念するものである。

ビデオ・ホームページ制作まで。

佛 立 冠を得ている。

京都  大阪  東京  名古屋

まったんだよ。

翌年 の 弘 安 四 年 ︵ 一 二 八 一 ︶ 十 一 月 二 十   四日、新しいお堂が完成し、お祖師さまは このお堂を﹁身延山妙法華院久遠寺﹂と名 付けられたんだね。 この身延山で、お祖師さまは、五十三歳   から六十一歳までのおよそ八年四ヵ月の間、 御題目口唱︵御題目をお唱えすること︶と、 お 弟 子 や ご 信 者 方 の 教 導︵ 教 え み ち び く こ と︶にあたられたんだ。 そ し て、 多 く の 御 本 尊 や 御 書︵ 書 き 物、   手 紙 な ど ︶ も 、 こ の 身 延 山 で ご 執 筆︵ 文 字 を書くこと︶されたんだね。

URL.http://www.shashin-kagaku.co.jp

長 さ ん の 招 待︵ 招 き ︶ に よ っ て、 甲 斐 国

さまは、南部さん宅︵家︶にしばらく滞在

まのいらっしゃる身延山の草庵まで、生活

県︶などの各方面のご信者方が、お祖師さ に必要な物を運んでくれたんだね。

TEL.075-254-7724(代表) FAX.075-251-0232

︵ 山 梨 県 ︶ の﹁ 身 延 山 ﹂ に や っ て 来 ら れ た んだ。

この﹁身延山﹂は、南部実長さんの領地   ︵ 持 っ て い る 土 地 ︶ だ っ た ん だ よ。 お 祖 師 ︵ あ る 期 間 そ こ に と ど ま る こ と ︶ さ れ、 そ の後、山のふもとの西谷という所に﹁草庵﹂ を 建てられ、そこに住まわれるようになっ

たんだね。

か っ た ん だ 。 そ こ で 、 南 部 実 長 さ ん や 鎌倉

身 延 山 は と て も 険し い 山 の 中 に あ っ た か   ら、生活に必要な 物がなかなか手に入らな

は、一 緒 に い た お 弟 子 や ご 信 者 方 の 皆 で 分 け合っていただかれていたんだ。 で も、 そ の 人 数 は 少 な い 時 で も 四 十 人、   多 い 時 で は 六 十 人 程 と、とても大勢 で あ っ たため、お供養の量と し て は 決して充 分 な ものではなかっただろうね。 また、身延山の冬は、雪が二、三メート   ル も 降 り 積もり、鍋 に た ま っ た 水 や お 弟 子 たちのヒゲも凍ってしまうんだよ。冬場は 地元の猟師︵鳥やイノシシやシカなどを捕

デザイン印刷から

らえる人︶さえも、山には近 寄れないとい

パンフレット・機関紙・寺史・社史の

高祖日蓮大士ご降誕

ご信者方が届けてくれたお供養︵仏や神、 ︵神奈川県︶ 、 下 総︵ 千 葉 県 ︶ 、 駿 河︵ 静 岡   僧侶に 供える飲 食 物や そ の 他の物︶の品 々

身延のお祖師さまのもとに各地のご信者よりご供養が届けられた

杉本海音さん 和進くん

左の作品とともに杉本海音さん

右の作品とともに和進くん

800年慶讃 御草庵跡 石造の玉垣(聖域を囲む垣)に囲まれた所が、お祖 師さまが住まわれた草庵の跡。十間四面の草庵跡は そのまま護持せられている

「御草庵跡」の正面 文永11年(1274)の一番最初の草庵は、4年を経て大破して しまったので建治3年(1277)に修復、さらに4年後の弘安 4年(1281)に改築された。この時に建替えられた草庵(お堂) に、お祖師さまは「身延山妙法華院久遠寺」と名付けられた 現在の「身延山久遠寺(正式には身延山妙法華院久遠寺)」 の本堂(日蓮宗総本山) お祖師さまがご遷化された後、約200年後の文明7年 (1475)、手狭になった西谷の地から現在の地に身延山久 遠寺は移転された

平成 30 年6月1日 金曜日   (毎月 1 回 1 日発行)  (8)

聞 新 立 佛 第 7 0 2 号    (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)


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