Rolls Tohoku Portfolio with Japanese translation

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Rolls Tohoku 31 March – 3 April 2011 Roll 005



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Rolls Tohoku

目の前の光景に ことばが出ない 文・マーク・フューステル

日本という国は常に自然災害の恐怖に晒されている。環太平洋 火山帯の極めて不安定な場所に位置し、毎年何千何百という地 震を経験している。そのため、震災と津波の対策に関しては世 界一と言っても過言ではない。しかし 2011年 3月 11日、日本の 東北地方を襲った大震災には国民の誰もがなすすべがなかっ た。この大震災は史上もっともメディアが活躍した自然災害でも あったようだ。2004年の東南アジアの地震では津波の瞬間をと らえたイメージはごく少数で、もっぱらその被害を中心に報道さ れた。今回は一般の人が撮影した映像が地震直後に公開され、

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→ 東北地方の海岸線を津波の前後で比較した

foam magazine # 27 report

衛星写真 © GeoEye www.geoeye.com

数分後にはNHK(日本放送協会)が東北地方を襲うであろう 津波の映像を押さえるためすぐにヘリコプターを派遣した。カメ ラがとらえたのは手当たりしだいにすべてを飲みこむ黒い波。続 く数時間後には、うねりながら迫りくる津波の衝撃を捉えた数 多くの映像(やはり主に一般人による撮影)がメディアに出回っ た。テレビとコンピュータの画面は、まるで魅せられたかのように 津波の猛威と無慈悲を繰り返す。ほんの数分前まで平穏な日常

僕自身日本に住んだことは一度もないが、ここ数年は定期的

の風景にあった家屋やクルマが、あっという間に津波に流されて

に日本を訪れている。日本の写真界とつながりをもったことで、3

いく様子を捉えたぞっとするような映像もあった。当初発表され

月11日の出来事は非常に個人的なものとなった。震災後しばら

た死亡者数は思いのほか少なかったが、カメラのとらえた映像

くのあいだ、僕は何かに憑かれたようにニュースをチェックし、情

は後に続くであろう被害の大きさと死者の多さを明らかに示唆

報を貪欲にむさぼった。それでも報道が伝えてくれるものはほ

していた。

んのわずかだった。24時間態勢でニュースが伝えられる時代、 情報や物語は常に再利用され更新されるけれど、毎時間繰り返

しかし、東北地方に起こった悲劇はほんの数日で各国の報

されるのは同じ映像と断片的な情報だけだった。そんなとき日

道から姿を消した。福島第一原子力発電所での度重なるトラブ

本にいる友人たちから連絡が入り僕は我に返った。友人のひと

ルがメディアを占拠し始めたからだ。それまで話題の中心だっ

りは新幹線に乗車中に被災した。真っ暗なトンネルの中に閉じ

た南三陸、石巻、仙台といった地名は「フクシマ」の影に隠れて

込められ、寒さに震えながら24時間以上経ったあと救出された

しまった。そんなある日、パリの地下鉄で手にとった無料の新

が、家にたどり着くまで2日かかったという。またこれは聞いた話

聞の一面は曇天のエッフェル塔。おそらく数週間か数ヶ月前に

だが、津波に母親をさらわれた少年が 80歳になる祖母と壊滅

撮られたものだろう。つづく見出しには『放射能雲がついにフ

状態の街の中で9日間救助を待ち続けた。無事生き延びた少年

ランスに到達』とある。物語の中心は、東北で起きた悲劇から

は、将来何になりたいか聞かれたると「アーティスト」と答えたと

「ヨーロッパにいる私たち」に起こりうる恐怖へとシフトしてしま

いう。――こんなエピソードのおかげで、僕は震災のあまりにも

った。アメリカとフィンランドではヨウ素剤が一週間で売り切れた

大きく漠然としたイメージを払拭することができたのだ。そして、

そうだ。 「メルトダウン」や「放射能」といったどこかSFじみた用

このRolls Tohokuの写真もまた、表面的な悲劇ではなく一歩

語の数々は、チェルノブイリの恐ろしい歴史や広島・長崎の原爆

踏み込んだ現実へと目を向けされてくれたプロジェクトだった。

を否応なしに思いおこさせる。それは同時に、科学的に現実を見 る気持ちの余裕を奪う。実のところ原子力のもつ恐怖は図り知

大地 震が日本を襲ったその日、若手写真 家、平野 愛智は

れない。それはもはや地球の裏側のどこかに住む誰かの悲惨な

《Rolls of One Week》という展覧会を開催していた。当時

お話ではなく、僕たちひとりひとりに向けられた現実的な恐怖な

「同じ国にいながらも直接手を差し伸べることができないことに

のだ。

無力感を感じていた」と彼は書いている。その無力感を克服する

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ため、平野は50個の「写ルンです」を手に宮城県石巻市へ れを配るためだ。配布する際、カメラには簡単な説明書き を添えた。 「みなさんの目で見るもの、見えるもの、撮りたい もの、記憶したいもの、記録したいもの、隣にいる人、大切 な人、伝えたいことを自由に撮ってください。そして、少しで もいいので楽しんでください」。その結果集まった27 本の フィルムの内容は www.rolls7.com に公開されている。 屋根に積み重なった車、かつて人が住んでいたはずの場 所を埋め尽くす建物の残骸――それまでメディアでとりあ げられる東北のイメージは決まって津波の被害を劇的に切

静かで簡素で 自意識が排除されて いるがゆえに すべての写真は とても力強い

りとったものだった。未曾有の災害に直面して自分たちの 目が信じられなくなったとき、受け入れることが不可能な くらい悲惨な出来事を記録して現実と知覚のギャップを 埋めるために、写真はこれまでも使われてきた。今回の場 合、その最たる例は人工衛星から撮影された写真だろう。 いくつかのニュースサイトは、3月12日に撮影された衛星 写真に、津波に襲われる以前に撮られた写真を重ね合わ せたインタラクティブ画像を制作した。2枚の画像を比較す ることで、私たちは津波によってきれいに消し去られた広 大な土地の津波前/津波後の様子を知ることができた。 たしかにインパクトは強いが現実離れした絵だ。衛星写真 は災害の規模や被害の大きさを相対的に表現しうるが、そ れによって損なわれた個々の人生はとらえきれない。Rolls

Tohokuの写真は対照的に、実際に被災した人だけが知 る極めて個人的な視点からこの大震災をとらえている。被 災者の痛みや苦しみだけではない。喜びや安堵、そして退 屈までもを伝えてくれる。これが避難所で人々が何とかや り過ごそうとしている「日常」なのだ。

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rolls tohoku

向かった。津波で家を失い避難所生活をしている人々にそ


RollsTohokuに参加した写真家についての個人情報は、氏名・

4月上旬、僕の短い日本滞在期間中に、宮城県を中心とした強

性別・成人か子供かのみに限定されている。いや、 「写真家」と

い余震が発生した。そのとき僕は東京にいて、夜桜(日本には夜

いうことばは間違っているのかもしれない。この写真はアマチュ

に桜の花を愛でる習慣がある)を楽しんだあと、友人とバーで飲

アが撮ったことにこそ意味があるからだ。メディアを飾る写真と

んでいた。生まれて初めて体験する地震。部屋全体が前に後ろ

は対照的で、Rolls Tohokuのすべての写真には、あの壮絶な

に揺れ、しばらくするとやっと元に戻った。バーの客はみな落ち

光景などほとんど写されていない。とある少年は自分のぬいぐ

着いており誰も席をたたなかったが、余震の前と後では明らかに

るみをひとつずつ順番にじゅうたんの上に置いて写真にとった。

空気が違っていた。皆がしばらくテレビの地震関連のニュースを

とある匿名のカメラマンはほころび始めた桜の木に繋がれた、

食い入るように見ていた。一緒にいた友人は近日中に宮城に行く

一匹のロバの姿をとらえた。撮影されたフィルムはこうした小さ

予定があり、この余震の被害を特に気にかけていた。数日後、宮

な断片的な光景で構成されている。それらがひとりひとりの生活

城に行った彼女から受け取ったメッセージにはこうあった。 「目

の一部であり、撮影するに値すると彼らが思ったであろうこと以

の前の光景にことばが出ない」と。ことばでは表現できないとい

上に、私たちがこれらの写真を理解する手だてはない。もちろ

うことと、これほどの大震災を端的に描写する写真がほとんどあ

ん、何か特別なメッセージを込めるために、芸術写真やルポター

りえないことはほぼ同じことだ。しかしRolls Tohokuの写真は

ジュ写真の視覚言語を用いることなど、彼らがするはずもない。

これまで見たどんな写真よりも僕の心に迫ってくる。

静かで簡素で自意識が排除されているがゆえに、すべての写真 はとても力強い。そしてそれはまるで年端もいかぬ子どもが発す ることばのように率直だ。もちろん壊滅状態の街はそこに存在し ているが、メインの被写体ではなく被災者の日々の生活の背景 にすぎない。ただそうした光景は、破壊の現実が未だ消え去るこ

foam magazine # 27 report

とを待っているかのように、参加者のひとりが窓から撮影された ブレたイメージとして見てとることができる。 平野が被災者に伝えた「少しでもいいから楽しんで」というメッ セージは実を結んだようだ。特に子どもたちが撮った写真にそれ は顕著だ。笑顔、友情、遊び。災害に関する紋切り型の映像に は表れない現実の生活がそこにはある。何が起こったかを記録 するのでも、その出来事を納得できるよう説明するわけでもな い。写真に映るのは、自分たちが体験したことを理解し受け入れ ようと今も続く葛藤、もっと簡単にいうなら、日々の生活を続ける ことの必要性の片鱗だ。

All images © www.rolls7.com 平野愛智

1977年日本生まれ。東京で広告写真やミュージシャンのジャケット写真やラ イブ写真を中心に活動するフォトグラファー。2011年2月に《Rolls of One

Week 》展を横浜で主催する。それは「写ルンです」を用いて平野を含む 参加者10名が銘々に同じ時間の流れを記録する内容だった。史上 4 番目 に大きい地震が日本を襲った 2011年 3月11日のあと、平野は同じ行為を被 災者とともに行うことにした。津波で壊滅的な被害を受けた東北地方の 人々に50 個の「写ルンです」を届け写真を撮ってもらった。回収された 27 個のフィルムはすべてwww.rolls7.comで公開されている。 マーク・フューステル

1978年イギリス生まれ。パリを拠点に活動するキュレーター、作家、ブロガー。 Studio Equisのクリエイティブ・ディレクターとして展覧会を企画してきた。 日本の写真には造詣が深く、 《Japan: a self-portrait, photo­graphs 1945 – 1964 (Paris: Flammarion, 2004)》の著者でもある。彼のテキス トは、個人ブログeyecurious.comにて定期的に発表されている。 日本語訳:樋口歩、柴田厳朗

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